スタートアップの投資に長年携わり、シンガポールとインド・バンガロールに拠点を置いて活動する蛯原 健氏。自らはノンテクノロジストであることを公言しつつ、テクノロジーが社会に与えるインパクトに通暁する蛯原氏から見ると、ブロックチェーンは「幻滅期」なのだとか。では、ブロックチェーンは否定されるものなのか? 彼の話に耳を傾けてみよう。
ブロックチェーンが世の中を変えるまでには、まだ時間が必要
日本を代表するベンチャーキャピタルで研鑽を積んだ後、2008年からは独立系ベンチャーキャピタルを立ち上げ、2010年にはシンガポール、2014年にはバンガロールに拠点を構えて活動をする蛯原 健氏。
近著『テクノロジー思考』(ダイヤモンド社、2019)では、テクノロジーの専門家ならずとも世界の政治や経済、社会の考察や課題解決に携わるならば、テクノロジーのトレンドや内在論理を理解していかないと今後は立ちゆかないという警鐘を鳴らす。
そんな蛯原氏にブロックチェーンについて、どう思うかを聞くと即座に「いまは幻滅期だと思います」という答えが返ってきた。幻滅期とは、米ITコンサルのガートナー社が分析にもちいるハイプ・サイクルにおいて、「過度な期待」のピーク期を過ぎた状態を指す。
「ブロックチェーンのメッカとも言われるベルリンに良く足を運んでいる方々とも定期的にミーティングをするのですが、ピークは過ぎているという点では意見が一致しています」
蛯原氏はブロックチェーンを、次のような技術と捉えている。
「これはファクトとして申し上げるのですが、ブロックチェーンはあくまで基本プロトコル。その上に、もう少しアプリケーション寄りのプロトコルが用意され、さらにアプリケーションソフトなどが何段階か乗ってこないと普及するレベルにはならないと思います。
これは著書にも書いたとおり、ブロックチェーンに限らず、新技術が社会に適用され、実用、量産、普及まで到達するには、実は人々が思うよりは遙かに長い時間がかかる。とすると、サトシ・ナカモト論文が2008年ですから、まだ10年くらいですよね。インターネットも研究者や軍需で使われた時期が何十年もあって、そのあとにHTMLやワールドワイドウェブが出てきたのが1990年代。それくらいの時間は必要だと考えるほうが、現実的だと思っています」
蛯原氏の『テクノロジー思考』では、こんな記述がある。
さて、ここに2枚の写真がある。1つが、1900年ニューヨーク五番街のイースターパレードの様子を写した写真である。そこには無数の車が写っているのだが、そのほぼすべてが馬車であり、よくみるとようやく1台だけ自動車を見つけることができる。
一方でもう一枚の写真には、その同じ五番街の1913年の様子が写っている。そこには馬車が1台だけ写っているが、他はすべて自動車だらけである。この間わずか13年だ。
(中略)
ここから得られる重要な教訓は何か。
第一に、内燃機関式自動車が発明されたのは1880年前後であるが、そこから1910年頃の一般普及までには実に30年という長期の時間がかかっていること。
第二に、しかしながら一度普及が始まるとそのスピードは驚くほど速く、世界初の量産モデルとされるT型がリリースされたわずか5年後にはそれまでの馬車が姿を消して、道路を自動車が埋め尽くしたということ。
第三に、その爆発的普及を成し遂げた要因が、量産による低価格化、大衆化であるということ。
さて、いま世界中、全産業において起きているデジタルトランスフォーメーションの無数の試みにおいて、いったい我々は、この「自動車の普及」の事例のおけるどの時間軸上の地点に立っているだろうか。それこそが、職業人としてクリティカルに重要なポイントである。
『テクノロジー思考』 231~233ページ
とはいえ読者の中には、こうした例は従来の製造業においては当てはまるが、急速に進む情報社会においてはもっとスピードアップするのではないか、と思われる方がいるかもしれない。それについての蛯原氏の見方は次のようなものだ。
「否定はしませんが、私はすべてのテクノロジーは成熟までに数十年かかっているファクトを見ています。
ブロックチェーンについてはいくつかの混乱もあったと思います。ひとつは、ブロックチェーンという技術が仮想通貨ブームでテイクオフしてしまったこと。それによって非中央集権的なテクノロジーとして、(GAFAに象徴されるような)中央集権的なパラダイムを壊すのではないかという雰囲気から、マネーゲームに変わってしまったこと。
バブルって経済学の現象と勘違いされているのですが、あれは集団心理学の世界なんです。どんなに頭がいい人たちの集合でもプレーヤーになってしまううえ、バブルであることが半ばわかっていても、それに乗ったほうが儲かるとなると、『それはバブルだから止めよう』ということにならないです。はっきり言えば、トランプのババ抜き。ズドンと落ちた瞬間にババを持っていなければ儲かる。仮想通貨ブームはそういうものだったんだろうと思います」
↑写真は、ソフトバンクグループ社が2019年2月に行なった決算発表の様子(詳細は、こちら)。孫正義氏は、PCからインターネット、スマホなどまでの動きを10年程度で階段が上がるようにパラダイムシフトが起きたとしたうえで、パラダイムシフトが起きた前後では、どのようなことが起きるかという具体例としてニューヨーク五番街の写真をプレゼンテーションに使った。蛯原氏の著書『テクノロジー思考』内でも同様の写真が使われている。どの程度の時間軸で事象を捉えるかは、『テクノロジー思考』において根源的に重要なポイントである。
ソーシャルインパクトの指標が求められる
ただし、社会課題の解決などの文脈で、例えばトレーサビリティの分野ではブロックチェーンのような技術が求められることは理解できると蛯原氏は話す。
「私は製造業においてテイクオフすると思っていました。実際、イーサリアム協会にはシーメンスやトヨタなど大手製造業が入っていますので、実際には諦めていないと思います。ただ、すごい地殻変動が起きるには、もう少し時間がかかるでしょう。
ただ、プラスチックによる海洋汚染や気候変動への対応などは待ったなしです。その意味で、やはりトレーサビリティを実現する技術は何か求められるのでしょう」
なぜ、トレーサビリティが必要かといえば、誰が作り、誰の手に渡り、どう処理されたかが見えるようにならないと、いま起きている社会問題に対応ができないため。もちろん、プラスチックならば溶けるプラスチックのような技術革新のようなアプローチもあるが、モノ
を作りすぎて、ゴミを減らそうとする際にトレーサビリティが確保されることは大事なポイントとなる。
また、ブロックチェーンの可能性と一緒に語られることの多い、トークンエコノミーのようなお金以外の指標が必要と考える。
「ソーシャルインパクトという分野で、社会にインパクトがどれだけ大きいかを測れるような指標は求められているんです。
経済では、いくら儲けたか、資本金何億か、月商何億か、一部上場しましたとかが評価される、とわかりやすくなっているんです。けれど、いま国内外のカンファレンス、大学などのピッチイベントでも必ずといっていいほど『サスティナブル』であることが語られる。これは経済の枠の外の危機、つまり、SDGsで言われているような気候変動や環境の問題です。でも、ここの領域はお金では価値が測れないし、そういう指標を作らないと民間の投資はしにくいんですね」
ここで問題なのは、地球環境や気候変動の問題は10年先、20年先に対処すれば良い問題ではなく、今すぐにアクションを起こす必要がある社会課題であること。ブロックチェーンを用いるかともかく、何か手を打ち始めなければいけない状況に私たちは立たされているのだ。
蛯原 健
リブライトパートナーズ 代表パートナー、日本証券アナリスト協会検定会員 CMA。
1994年 横浜国立大学経済学部卒業後、日本合同ファイナンス(現JAFCO)に入社。20年以上ベンチャーキャピタルおよびスタートアップ経営に携わる。2008年に独立系ベンチャーキャピタルのリブライトパートナーズを日本で設立。スタートアップ投資育成に携わり、2010年よりシンガポールに事業拠点を移して東南アジアでの投資を開始する。2014年にはインドにて拠点を開設してIT系スタートアップ投資活動を始めた。近著は『テクノロジー思考――技術の価値を理解するための「現代の教養」』(ダイヤモンド社、2019)