サンプリングボイスを用いて楽曲を構成する独特な手法を駆使し、世界中のファンを魅了するアーティスト・DÉ DÉ MOUSE。「発明」とまで言われるほど革新的な手法で作品を生み出し続ける彼は、どのようにアーティストとして成長していったのか? そして、音楽を取り巻く環境やテクノロジーの行末に何を思うのか? アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が聞いた。
ーいつ音楽を始めたきっかけは?
本格的に音楽を作ろうと思ったのは、高校2年生のときにシンセサイザーを買ってからです。それまではメロディーと歌詞だけを作っていました。
ーシンセサイザーを買うまでは楽器に触ったことがなかったんですか?
中学生のときに、色気づいてギターを弾いていました。僕が高校生の頃は世間では小室哲哉さんが大ブームで、TM NETWORKとか電気グルーヴなんかをよく聞いていました。テレビから流れるダンスミュージックの独特なキック音がかっこよくて、次第にギターではなくキーボードで曲を作る方向へシフトして、小室さんの真似事みたいなことをし始めたり。
ー時代的には、Windows95が出たインターネット黎明期の頃ですね。
そうですね。「パソコン通信」という言葉が「インターネット」にとって代わり、オンラインとかグローバルといった言葉が世間にあふれ始めた時期です。でもその頃はインターネット自体にあまり興味がありませんでした。
ーその頃からミュージシャンになろうと思っていました?
ミュージシャン以外の道はないって思っていたけど、レコード会社に音源を送る勇気はなくて、ひたすら友達に聴かせていました。でもどこか自分の中で、「あまり早くデビューすると、すぐにすり減って(アーティスト生命が)終わってしまう」って考えていたんです。だから25歳ぐらいにデビューしようって勝手に人生設計をしていました。若い頃は、自分には才能があると思い込むタイプだったんですよね(笑)。
ー自信があったんですね。
中二病ですね(笑)。高校生になると、中二病をさらにこじらせます。それまでは国内の打ち込み系のアーティストをよく聞いていましたが、時代の流れ的に「洋楽を知らないと駄目だ」みたいな風潮があって。それで、地元の本屋さんの一角にある洋楽コーナーに行って、知ったような顔をして見ていました。
そうしているうちに、テレビで流れてきてピンときた洋楽を買うようになり、テクノも聴くようになりました。そのときに出会った、エイフェックス・ツインというイギリスのテクノ系DJによって自分の価値観が変わったんです。衝撃を受けたというよりも、安堵感を得たという感覚。それまでの「綺麗にダンスミュージックを作らなきゃ」という固定観念が崩れて「直感で作ればいいんだ」と思えるようになった。「やっぱり自分にしかできないジャンルを作らなきゃいけない。音楽はアートだから」と。それが18歳のときですね。
ーいいじゃないですか。僕は、今もそういう思いを持っています。
でもテクニックがないからエイフェックス・ツインの影響下を抜け出せず、 “自分の音” をなかなか作れない。それなのに、口だけは達者。そんな状態のまま上京して、日本工学院のコンピューターミュージック科に入りました。そこは設備がすごくしっかりしていて、スタジオも大きかった。自分のテクニックのレベルを測れたし、友だちもできました。その学校を卒業するのが21歳ぐらい。在学中から講師を通じて、テレビCMの音楽のお仕事をいただいていました。
ーその歳から。
でも、やっぱり中二病だったからか「お金をもらって、誰かに指示されて音楽を作りたくない」なんて考えを持っていて(笑)。せっかく音楽でお金をいただいていたのに、その仕事を辞めて自分でデビューする道を歩み始めました。お世話になっていた音楽事務所のスタジオに通うようになり、そこのプロデューサーの方から「俺がプロデュースして、デビューさせてやる」と言われたんです。
でも、そのプロデューサーのやりたいことが、自分が思っていた方向と違うことが多かった。それが辛くなってきて、結果的にはその事務所とのお付き合いは減っていきました。どんどん自分からチャンスを手放して、フリーター生活が続いて……と、一番きつかった時代ですね(笑)。
ーでも、自分の信念貫き通したということですよね。
良く言えばそうですね。描いた通りにデビューしないと意味がないと思っていました。当時、考えすぎで納得のいく曲が作れなくなったんです。24歳ぐらいのときですね。自分と同じ世代のDJがどんどん出てきて、劣等感や焦りを感じていました。自分からイベントに行っていろんな人と繋がらなきゃいけないのに、コミュ障だから家から出たくないんですよ。
ー結果的には、ファーストアルバムがヒットして、avexと契約をすることになりましたね。
ファーストアルバムを出した後に、avexの方から声を掛けていただきました。他のレーベルからもお話はいただいていたんですけど、avexだけが「好きなようにしていい」って言ってくれたんです。契約条件も柔軟でしたし、迷いなく決めました。
ー今は違うレーベル(not records)に所属してらっしゃいますね。
avexはアンダーグラウンドのアーティストにも理解のあるレーベルですし、すごくお世話になりました。とはいえ、やっぱりメジャーでは目に見える結果を出さなきゃいけません。時間が経つにつれてその重圧に苦しむようになり、かつての自分が蔑む音楽しか作っていないと思うようになりました。
そんな中、当時のマネージャーを説得して二人で独立しました。二人三脚でずっとやってきて、今は彼が立ち上げた会社に所属しています。彼とはもう10年以上一緒に仕事をしていますね。
ー良きパートナーに出会いましたね。
今考えると、当時のスタッフにはたくさんワガママを言ってしまったなあって思うんです。僕は曲を作るモードになったら、制作以外のことはすべてどうでもよくなってしまう。曲作りが落ち着いて、プロモーションをするフェーズになってからもワガママを言うことが多かった。自分の信念が強すぎて、「みんな分かってくれるはずだ」と思っていたんです。「僕が作るのはソフトウェアで、それを売るのがあなたの仕事」なんてことを言っていたこともあります。
ー今はそれは変わったんですか?
変わりました。今は、どれだけ優れたソフトウェアがあっても、それを売る媒体にうまく流通させないと広がらない。僕1人では限界があるし、そういった点は、昔に比べるとスタッフに対してもすごく感謝しています。
(中編へ続く)
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DÉ DÉ MOUSE
2019.12.11発売
8th full album「Nulife」
2,200 円 (tax out) / NOT0027 / not records
DÉ DÉ MOUSE “Nulife” Tour 開催中!
ツアー情報については
http://dedemouse.com/livescheduleへ
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