「事実は小説よりも奇なり」と言われるが、それを地で行くような小説が、沢しおんの『ブロックチェーン・ゲーム 平成最後のIT事件簿』だ。ラテン語で織物を意味するテクストゥスに由来し、もともと文書の〈本文〉を指す「テキスト」とは何かを事件簿という形のリポートを入れることで問うているスタイルがユニークだ。作者の沢しおん氏に創作の裏話などを聞いた。
平成最後の激動の10年間
平成最後の平日にリリースされた『ブロックチェーン・ゲーム 平成最後のIT事件簿』は、不思議な小説である。本編はビットコインやブロックチェーンにド素人だった初瀬ハルトが、アイドルグループの黄泉比良坂47(よもつひらさか47)のメンバー・江ヶ崎エリナとの同棲をきっかけに生活環境が激変したり、仮想通貨取引所のCEO兼リードプログラマーが仮想通貨流出事件後に行方が知れなくなったりするなど、きわめて輪郭がはっきりしたキャラクターたちが平成最後の10年間を象徴するような出来事に巻き込まれながら、物語が展開されていく。
何が不思議かというと、現実を下敷きに物語られているようだが、本作の元となるテキストが小説投稿サイト「カクヨム」に発表されていた2018年の3月頃から、現実が物語を追いかけるように事件が起きていったからである。
「これを書き始めたのは、2018年の3月です。もともとはKADOKAWAさんのサイバーセキュリティ小説コンテストに応募しようと思って書き始めたんです。なので、セキュリティに関して神経質な角度で描写しているんですね。席を立つときに、必ずログイン画面に戻すとか、フリマアプリの売買で住所を知られないようにエスクローサービスを利用するとか。そういうサイバーセキュリティ観点のことをネチネチ入れるところから書き始めたのがきっかけなんです」
作家・沢しおん氏は、2009年頃まで大規模多人数同時参加型オンライン・ロール・プレイング・ゲーム、いわゆるMMORPGのパブリッシャー(運営会社)でゲーム業界に関わり、業界動向をリポートするなどの傍ら、エンターテインメント作品作りに慣れ親しんでいった。現在は自ら設立したデベロッパー(開発会社)で、ノベルゲームなどのシナリオ、ライター、編集、監修も行なう。描写がリアルなのは作品が書き始められた経緯を考えれば当然だが、沢の職歴を聞くと、現実が作品を追いかけるようなことになっていくというのもうなずける。なぜならば、沢自身が、理性を捨てたケモノのように生存競争をするゲーム業界の住人ゆえに、遠い未来はともかく、近未来は見えているからだ。そうした予知能力を備え、ケモノだけが知るケモノ道を知らなければ、この世界では、生き残っていけない。
「この世界と関わるタイプは2種類あると思うんです。ひとつは業界の動きを先読みして、ケモノ道を歩むタイプ。僕はそっちです。PCのオンラインゲームを作る前は、ビジネス向けのグループウェアを作っていたりしていて、その後ゲームを作り始め、次にはガラケーのソシャゲなんかをやり、現在はスマホゲームに関わっていますから。で、もうひとつは、時代の節目で入ってくる人たちがいるんです。例えば、ソシャゲブームの時にコンソールゲームも作ったことないけれど、ゲームに憧れて、どぅわっと若い人が入ってきたんです。昨日までホームページを作っていました、ぐらいの感じの人たちが。スマホゲームに変わった時も同じです。いまは、中国メーカーが自国にいながら日本向けゲームをリリースできるので、中国資本のゲームがどんどん入ってきています」
ビットコインとの出会いはマウントゴックス事件
スマホゲームが盛り上がり始めた頃に、沢はビットコインやブロックチェーンに興味を持ち始める。そのきっかけは、マウントゴックスの事件だったという。ただし、沢には報じられ方、騒がれ方とは違った景色が見えていた。それは、ケモノ道の住人ならではの独特の嗅覚が備わっていたからだ。
「僕とブロックチェーンの出会いは、多くの人がそうであるようにビットコインからでした。2014年のマウントゴックスの盗難事件です。もともとビットコインの存在は知っていたんですけれど、あの盗難事件の構造に興味があったんです。
まず、お金でもないし、単なるデータでもないものを預かって、売ったり買ったりの取引をしている会社があった、と。それをマウントゴックスという会社がやっていて、社名の由来は、マジック・ザ・ギャザリングというカードゲームの頭文字MTGの取引所(Online eXchange)の意味で「ゴックス」ということを知って、『あれ?これって…』と思ったんです。どういうことかというと、MMORPGでいうゲームアイテムやゴールドみたいなものをそもそも交換していいデータとしてやり取りをしている。それを取引所に預けておいたら盗まれちゃったという事件なんだ、と」
MMORPGとは、Massively Multiplayer Online Role-Playing Gameの略で、大規模多人数同時参加型オンラインRPGと呼ばれるもの。『ウルティマオンライン』や『リネージュ』などは典型例で、「ファイナルファンタジー」もシリーズの途中から、この要素を含んで発展した。沢は、このMMORPGのアカウントやゲーム内のアイテムなどを、現実世界で取り引きをするRMT(Real Money Trade)にも一家言ある有識者としても活動をしていた。
「僕はRMTの根底にあるデジタルデータ取引そのものの哲学は否定しませんし、その可能性には魅力を感じています。ですが、過去にはゲーム会社のサーバーにあるデータを、勝手に売買しているところに問題があった。これは諸問題を併発するので今でも決して許してはいけないことだと思っています。そして、マウントゴックスの事件の頃には、世界で初めてそれを規制することになる資金決済法というセクシーな法律は、まだ仮想通貨を定義していなかった。そういうところが、すごく興味を引いたんです」
沢には、ビットコインやそれに熱狂する人々、様々な騒動がゲーム内のアイテムやゴールドなどと呼ばれるゲーム上の通貨を現実で取引している人間模様と似ているように見えた。そして、2007年頃に話題になったセカンドライフとも重なって見える。セカンドライフがゲームと違ってユニークだったのは、リンデンドルと呼ばれる仮想空間内の通貨が、米国ドルと換金できたこと。当時、自動車メーカー、化粧品メーカー、そして大手広告代理店らが新しい商機を期待して、参入して話題になった。ちなみに、セカンドライフは現在も運営されていて、それを楽しむ人たちのコミュニティは存在する。
つまり、沢にはマウントゴックス事件が過去にゲーム業界で起きたことの繰り返しに見えた。そして、その補助線を引くとその先に起こることも概ね想像がついた。それが作品を作り出す強いモチベーションとなり、物語が紡がれ始める。
ただし、想定外だったのは前述したとおり、現実と虚構である小説との境界が曖昧になり、小説を現実がなぞるような事件が起きたこと。2018年1月に約580億円分の仮想通貨NEMが流出したコインチェック事件が発想の根底にあったことは確かだが、同年8月の仮想通貨「モナコイン」の不正流出、さらには9月に起きた交換事業者「Zaif」の不正送金被害などが立て続けに発生した。そこで沢は小説ではあるが、現実の事件を解説する“事件簿”の要素を組み込むことにする。「書き始めたんですけれど、考えて、書いて、考えて、書いてなので、投稿までに間があくじゃないですか。その間に、コインハイブ事件とか、現実で小説の内容と関係のありそうな事件が起こっていったんですね。また、違法アップロードサイトをブロッキングする議論が起こって大騒ぎになったり、セキュリティ対策ソフトの会社のアプリが、ストアから締め出されちゃうとか、そっちも書かなきゃって思いが強くなっちゃったんです。だから、ライブ感として、こんな事件が起こったとかコラムを入れたんです。普通は小説って、コラムなんか入らないけれど、僕は好きなように書きたかったので」
譬えるなら、北朝鮮の偽米ドル札などの諜報工作の危機を半分の事実と半分の嘘で描き、<二十一世紀の世界を舞台にした本格的諜報小説>と評された手嶋龍一の『ウルトラ・ダラー』を彷彿させる。また、書き手が我慢できずに、講談師のように語り手して登場してしまうところは、その語りが「司馬史観」とも称される司馬遼太郎の小説ともオーバーラップするところもある。リアルな現実を描いているが、この作品が後世でどのように読まれるかを想像しながら読むのも楽しみ方のひとつといえる。
そして、小説内で描かれながらも、まだ現実では起きていないことも少なくない。つまり現実と虚構が交錯した事件簿という体裁を取りながら、沢は預言書のような工作を仕掛けているかもしれない。
AIのアイドルの遺伝子をブロックチェーンでやり取りしていく
沢は、すでに次回作の構想を練り始めている。
「今後は近未来、AIが人の能力を超えて自らAIを生み出し、あるいは人の心を持つと言われるシンギュラリティのちょっと前の出来事を書きたいんです。“心”を持ちそうで持っていない存在に、人が、どう思い込みを募らせ、どういう反応をするか、といった世界です。SFではなく、人のほうを書きたい」
ただし、沢はその構想を小説の創作にとどまらせることなく、ゲーム業界の住人というもうひとつのペルソナで、仕掛けを始めている。それが、AIを使ったDappsエンターテインメントプロジェクト「Gene A.I.dolsプロジェクト」だ。
「このプロジェクトは、『すべてのAIをアイドルにする』というプロジェクトなんです。いまのAIは、まだ、心の発露はありませんが、その遺伝子つまりgeneを今からブロックチェーンで書き込んでいく。GAN(敵対的生成ネットワーク)を用いたAI技術でアイドルの容姿を生成し、対話エンジンとしてそれぞれのアイドル固有の対話モデルを備えられるようにする。世界でひとつの個性を持ったアイドルを生成し人工遺伝子にするんです。そのプラットフォームを用意して様々に展開できるような仕掛けをしていきたいと思っています」
すでに「Gene A.I.dolsプロジェクト」では、この世にまだ存在しないアイドルをあたらしく生成できるだけでなく、アイドル同士を組み合わせる「合成」をしたり、チャットによる対話で言葉を覚えさせていく機能が開発されており、実際にブロックチェーンのトークンを所有することで、アイドル達の「オーナー」になれる。仮想世界やゲームで楽しまれている「ラブライブ」や「アイドルマスター」のようなアイドルをモチーフとしたエンターテインメントを、AIとブロックチェーンで現実世界へ逆輸入的に展開する、というのも応用例のひとつとか。これはEthereumを使ってプレイするユーザーが対象になり、そのアイドルはマーケットで取引されることも想定している。
将来的には、オーナー自身の姿や声から人工遺伝子を演算し、アイドルと合成する構想もある。つまり、自分の要素を仮想世界に流出させて、そこで生活をすることが可能になるのだ。このように遺伝情報がブロックチェーンでやり取りされ、現実と仮想の世界が融合される――沢の中では、そんな物語が紡がれ始めている。
沢しおん氏
2018年、出版系イベント「NovelJam」(主催:HON.jp)にて、SF短編小説『マイ・スマート・ホーム』で小説家としてデビュー。オンラインゲーム企業の役員として15年以上のキャリアを持ち、スマートフォンゲームのシナリオ編集者として年間400万字以上の物語をリリースしている。