失われてはいけない、文化や風習がある

2019.11.01 [金]

失われてはいけない、文化や風習がある

金沢21世紀美術館のキュレーターとして、数々のアートプロジェクトを生み出してきた鷲田めるろ。2018年からは、フリーランスとして活動の幅を広げ、昨今大きな話題を生んだ「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーターも務めている。長年、アート業界を牽引してきた鷲田は例の騒動と今後のアートとテクノロジーの関わり方について何を語るのか。アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が聞いた。

ー思想や宗教観の対立から作品を守らなければならない。それ自体が美術のあり方としてどうなんだ、という問題意識ですね。

以前、アフガニスタンの音楽博物館の人が話していたことですが、イスラムの過激派で、音楽自体を否定するグループがいたそうです。そのグループは、「音楽は、イスラムの教えを惑わせるものだ」という原理主義的な考え方を持っていました。だから、音楽博物館、そしてそこに歴史的価値のあるものとして保存している楽譜や楽器などが襲撃の対象になると言うんです。そうした攻撃からどのようにして守るか、という話をしていました。今回の「表現の不自由展・その後」も、似た側面があると感じたんです。

失われてはいけない、文化や風習がある

ー守っていくことも難しい時代になってきていますよね。

様々な政治的立場があるとして、自分とは異なる立場の考え方に触れられる場所として、美術館があってほしいと思うんです。図書館もそうですよね、政治的立場の違う人たちが書いた本が、図書館には両方置いてある。

例えばある政治問題を全く考えたことなかった人が、美術館で関連する展示を見ることで、賛成にしろ反対にしろ、そういう問題があること自体に気付くきっかけにはなるでしょう。美術館は、そういう場所であるべきだと思います。

ーテクノロジーとアートの関わり方についてはどう感じていますか。例えば、AIがアート作品を作ったり、ブロックチェーンで絵を管理して流通させたりなど、いろいろな可能性が議論されています。

今回、あいちトリエンナーレでもコンピューターによる自動化がどのように社会に影響を与えるかという観点で選んだ作家が多くいます。

例えば村山悟郎さんという作家は、iPhoneの顔認証機能を題材にした絵を描いています。面白いことに、パッと見では顔には見えないんですけど、iPhoneは顔だと認識するんです。以前、パソコンに自分が描いた絵の写真を保存していたところ、人物画ではないのに、勝手に人物として分類された経験から作られた作品です。つまり、機械が画像を認識するときにどうやってこれは顔だと判断してるんだろうという疑問から出発してるんです。人からすれば、全然顔には見えないけど、iPhoneでかざすと顔として認識されるようなパターンを絵として作ったり、逆にどうやって機械の認知から逃れるかといったことをしています。

村山さんは今回、歩き方の特徴から人を特定する歩容認証という技術を使った新作を作りました。歩容認証はすごくて、監視カメラから顔が見えないぐらい離れている場所に人が映っていた場合、腕の振り方や歩き方を解析して、高い確率で人物を特定できるんです。実用化に向けた研究が進んでいる、最新分野の技術として注目を浴びています。大阪大学の協力を得て、そんな最新技術を騙すパフォーマンスを作りました。歩容認証にひっかからないような動き方をいろいろ試して、それを組み合わせてダンスパフォーマンスを作る試みです。機械の認知を逆手にとって、新しい身体の動きを作っているのです。このように、テクノロジーの進化を活かした作品づくりには大変興味がありますね。

作品を守るために美術館は何ができるか?

ー面白いですね。テクノロジーの進化が、作家の新たなインスピレーションを生み出しています。想像もつかないテクノロジーが突然現れる変化の激しい時代ですが、キュレーターとして今後どのように活動していくか、ビジョンはありますか?

地方で町と関わるような企画があれば、これまでの経験を活かして役に立てるかなと思っています。激しい変化の中で、日本の各地域に残っている文化が全て無くなっていきそうな状況だという危機感を抱いていて。例えば、50年後にその地域から人がいなくなることが避けられないとしても、そこにあった文化や歴史を残していかなければいけません。そのための手段として、例えば博物館を作ったり、アートプロジェクトを行ったりして、歴史や文化を掘り起こしていく、目に見える形にして残していくことが必要です。古い物や昔の風習は捨てていくしかない、と世の中の流れが向かっていったとしても「いや、他にもやり方があるはずだ」と、違う可能性に気付くきっかけを作りたいと思っています。

ー浮世絵を描ける人ほとんど残っていないように、戦後の日本では文化が弱くなってしまいました。テクノロジーが進歩する一方で、失われていくものも確かにありますね。

作品を守るために美術館は何ができるか?

金沢市は華道や茶道が盛んだということもあり、床の間に生ける花に関する知識がすごい人がいます。頭の中でどの季節にどこに行けばどういう花が咲いている、というマップを描けるんです。そういう知識を持っていること自体が文化だと思うし、単純にすごみを感じる。あと、お茶菓子を食べていても、誰々さんのところのお菓子の味が変わったとか、そういうことにちゃんと気付ける人が多い。そういった批評が共有される世界もすごいなと思いますしね。そういう情報に、ちゃんと触れられる機会、回路を残していくことは大事だと考えています。

直接何に役に立つとかは、すぐには言えませんが、やっぱり花を見分けるとか、味の違いに気付くとか、そういうリテラシーは誰かが残そうとしないと、失われていくものだと思います。経験則や知識も文化の一部ですからね。花や味を見分けられて、初めてどれが自分は好きか気付いて、人生が豊かになっていく。そもそもの前段階として、物事を見分けられる経験則や知識を残していくことも必要だと思います。

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