作品を守るために美術館は何ができるか?

2019.11.01 [金]

作品を守るために美術館は何ができるか?

金沢21世紀美術館のキュレーターとして、数々のアートプロジェクトを生み出してきた鷲田めるろ。2018年からは、フリーランスとして活動の幅を広げ、昨今大きな話題を呼んだ「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーターも務めている。長年、アート業界を牽引してきた鷲田は例の騒動と今後のアートとテクノロジーの関わり方について何を語るのか。アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が聞いた。

ーまずは、簡単に経歴を教えて下さい。

金沢21世紀美術館には立ち上げ時から関わっていて、開館から約18年間、同館のキュレーターを務めました。2018年3月に退職して以降は、フリーランスでキュレーターの仕事をしています。

ーキュレーターとして、どういうことをポイントに活動してきたのですか?

金沢21世紀美術館は、美術館の中でも都市との関係が非常に強いのが特色です。文化振興以外に、金沢市を活性化させる“都市政策”としての目的があったのです。だから、いかに人が入りやすい施設にするかは、自分にとっての至上命題でした。運営プログラムでも、例えば無料ゾーンを多く作って入りやすくするといった工夫もしました。他に子どもも参加しやすいプログラムを作ったり、町中に出ていろいろなプロジェクトをやったりと、都市との関わりを意識した活動を行ってきました。

ー18年間の中で思い出深い展示はありますか?

2008年にアトリエ・ワンという建築家ユニットが金沢市に古くから残る町家を改修してゲストハウスを作ったプロジェクトですね。彼らが2007年に、町家の調査をしていたことがきっかけとなって生まれました。21世紀美術館が開館から3年目の軌道に乗ってきたところで、町とのつながりに積極的に乗り出し始めたタイミングでした。

町家の調査では、地元の美大生や金沢工業大学で建築を勉強している学生に中心的に関わってもらいました。残存している古い町家や、かつて町家だった建物を今の人たちがどのように改修して活用しているかを地図にまとめました。それがきっかけになって建築とアートを横断する活動団体ができて、2007年から2017年にかけて10年間活動をしたんです。いろいろな広がりを見せたプロジェクトでした。

ーそのプロジェクトの何に一番惹かれたんですか?

町家という古い建物は、寒くて住みにくいといった理由でどんどん減ってきています。しかし、例えば道との関係性がすごく近いとか、近所付き合いが自然にできるとか、これからの住宅に必要なヒントがあるんじゃないか、という発見があったんです。

ーありがとうございます。最近の活動だと、あいちトリエンナーレがありますね。

第4回目である今回のあいちトリエンナーレのキュレーターをしています。2018年1月からですね。どのアーティストに出品をお願いするか、という初期の段階から関わり始めました。

ー「『不自由展』のその後」は、表現の不自由さを改めて知らしめる、皮肉めいた結果になりましたね。 

「表現の不自由展・その後」では、作品だけではなく「展示できなくなった経緯」も掲示していました。「表現の自由」という権利はある一方で、無限に自由が認められるわけではありません。では、どういうケースでは自由が認められて、どういうケースでは認められないのか、その境界はどこにあるべきなのかを考える展示を意図していました。しかし、その意図を上手く伝えられず、中止してしまった(※)ことは非常に申し訳なく思っています。

SNSでの拡散のされ方も含めて、ある程度想像はしていましたが、あれほどの脅迫と電話までは想定していませんでした。これは、今後も美術展を開催していくときの課題だと思います。あの様な形で広がった場合にでも、どのように展示を実施したり、続けたりすることができるのか。より具体的で実務的な対策も考えていく必要があると思います。

※編注…取材時は展示中止の状態だったが、2019年10月8日午後に再開された。

ーSNSで簡単に情報が広まる時代になり、今後もアートはより民主化されていくことと思います。こうした流れに関して、ご意見を伺えますか?

私は、20年間ずっとどのように美術を町や社会に開いていくか、をテーマに活動してきたつもりです。美術館の建物を開放的なデザインにしたり、美術館での観客の写真撮影を促進したり、できるだけ自由にアートに接してもらえるようにしてきました。ただ、今回の「表現の不自由展・その後」で起きたことを考えると、作品を見る場を守るための美術館という観点も大事になってきている気がします。

かつて美術はみんなの共通価値として扱われていたと思うんですよ。例えばゴッホの絵に価値がある、ということは現在では誰もが認めている。だから、今でも多くの美術館におけるセキュリティは、ゴッホの絵が盗まれないことを前提とし、警備員がいたり、一定の距離以上は近づけないようになっています。

しかしここ20年ほどで、美術作品や文化財が、特定のグループや民族、宗教のシンボルとして扱われる側面が強くなってきています。すると、そのグループに反対する過激な人たちにとっては、展示されているシンボルが攻撃対象になりますよね。だから過激な人たちの攻撃から守り、みんなが見られるようにすることが美術館のセキュリティという考え方に変わってきている部分があるんじゃないかと思うんです。

(後編へ続く)

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