お金とは何か#7自然とお金

2019.10.28 [月]

お金とは何か #7
自然とお金

私は海で潜るのが好きで、スキューバダイビングも何回かしたことがあります。

小笠原諸島で潜ったときは、マグロの大群を見ることができました。

現地の人はそのマグロを『ミズマグロ』と呼んでいました。ミズっぽくて旨くないから、捕らえない。それでああやって数が増えて泳いでいるとのことでした。

海中でカラフルな魚たちを見ていると、この中に、値段の高い『高級魚』と捕る価値のない魚とわかれていることが不思議に思えてきました。

島の漁師さんからすると、日持ちして一定以上の価格のつく魚でないと、漁船を出したコストに見合わないので、全く相手にしません。魚からすると、自分の価格的な価値が低いことで捕られずに悠々と泳いでいられます。仮に美味しくても、保存が難しかったり小型だったりすると東京まで運んで魚市場で取引してもらうことができないので金銭的な価値をもてません。

その魚が、最低限の保存機能と、交換機能をもってないと、商品になり得ないと言うことですね。

ありのままの自然にも、もちろん価値はあります。もし小笠原諸島の交通がストップして、自給自足をしなければいけなくなったら、自分たちで食べられる魚は区別しないで捕るようになるのではないでしょうか?生きていくための貴重な食材としては、高級低級という、東京まで持って行ったときの商品価値は意味を失うでしょうから。

そうやって考えてくると、お金は、素のままの自然そのものから、人間の文明と関わることで発生した価値に使われる物らしいとわかってきます。

お金と文明

私たちは文明社会で生活していますから、普段意識する機会もほとんどありませんが、お金は文明と密接に結びついています。それは古代のお金(貨幣)誕生と古代文明誕生がそれぞれに地域で同時期であることからも推測できます。

お金(貨幣)の歴史を調べると、そのどれもが今までの述べたお金の3大機能である、交換の媒介、価値の尺度、価値の保存という機能をもつことで、文明という仕組み作りに大きく貢献してくることがわかります。

私は自分のブロックチェーンの講演では、最初にトークン最古の歴史として、6000年前のメソポタミア文明のさらに初期のシュメール文明ででてきてたトークンの話をします。

シュメールでは人類最古(正確には古代中国文明もそうかもしれませんが、記録が不明なので)の農業が始まりました。また農業をやる場所で粘土がとれたことから、その粘土に穀物の取引の記録や、羊の所有権の記録らしきものを表す模様を刻んで、粘土ごと焼くことでその記録を固定させました。

それが最古のトークンと言われています。それが人類最古の文字であるクサビ型文字の原型になっていきます。

世界の複数の場所でこれに類することが起きてきました。

中国では、現在のベトナムの地域でとれた貝や亀の甲羅を貨幣の原型として使い出してきました。中国でも最古の部類と言われる文字にこの亀の甲羅の亀裂から作った文字がありました。

文字、トークン(代用貨幣、ここではお金の元祖みたいなものとして)、お金(貨幣)、農業で得られた穀物、交易、市場、それらが立ち上がってくることで、富の蓄積、富の偏在、仕事の分業体制、多人数が協力することが可能となり、文明ができてきたということのようなのです。

ですから、この元々に立ち返って考えると、一段とお金(貨幣)は文明という人間の大規模な集団の営みと一体になったものであることが想像できます。

そして、私たちのほぼ全員が、文明の中で生きている文明人であり、お金がないと、その文明の恩恵を受けられないということになっている。少なくともそう感じているから、お金のないことをとても恐れる人が多く出てきたと言うことなのでしょう。

実際お金がないと、食べ物すら買えません。飢え死にする人は文明国では少ないので、実際はお金がなくても、食べ物を何らかの方法で手にしているのでしょうが、お金がなくなる恐怖感を食べられなくなることと同じくらい恐れている人は多くいるハズです。

そのために、それぞれがお金を得るための活動をしなければいけない。それが仕事ですね。仕事は楽しいことも苦しいこともあるのが普通です。でも生きていくためには、お金を得なくてはいけない、だからそのための仕事は苦しいときも続けなければいけない。そう思って頑張っている人も多いはずです。

元々は物の交換を媒介するための道具であったはずのお金(貨幣)は文明を育て、分業体制を推し進め、気がついたら個々の人間にとっては、この文明の中に生きていくためにお金が必要で、好き嫌い関係なく、そのお金を得るために仕事をするしかなくなっている。でもそれにより、大規模な人間集団が分業して効率的に、快適に生きられるようになった。そんな文明生活の誕生、育成にお金は機能してきました。そして文明が発展するほど、お金で買える物の種類は増えていき、逆にお金がないと、何も手に入れられないと、より強く感じられるようになってきたということのようです。

人間が便利な生活と引き換えに文明の奴隷になったということは、人間がお金の奴隷となったことと同じ意味と言ってもいいのかもしれません。

グローバル経済とトークン

現代は、海外旅行をしても、都市ごとの差が少なくなってきています。どの大都市に行っても、同じようなコンビニエンスストアがあります。グローバル経済という言葉も一昔前は世界で共通のルールで公平に競争できてかっこいいみたいなイメージもあったのですが、世界が似通った、文化、文明に塗り潰されていってしまうようなつまらなさを感じる場合も出てきています。

お金は、分業体制を広げ、世界中にお金で買える物、お金で買えるサービス等が増えてきていますが、なにかつまらなさも同時に感じてしまうことがあります。

それは、今の法定通貨が持っている価値観が、統一されてつまらなく感じられてきているからかもしれません。

あるミュージシャンのファンの間でしか通用しない通貨のようなトークンがあったとして、そのミュージシャンがより有名になる活動をしたら、そのトークンが与えられる。そんなトークンエコノミーがあったら、法定通貨だけの文明より多様性が生まれて楽しくなりそうです。

人間はそれぞれ違う価値観を持っています。例えば、あるアニメを強烈に好きなファンだけの集まりで通用するトークンとそれによって運営されるコミュニティーがあり、そのコミュニティーの持つ価値観があり、それによってつくられる文化があれば、新しい喜びを見いだせる場合があると思うのです。

逆に今のグローバル経済が行きすぎて、法定通貨絶対の世界が広がっていくと、おそらくそれを息苦しいと感じる人は増えてくるのではないでしょうか? その理由として考えられるのは、非常に大きなグループでの、いち歯車として分業体制に組み込まれやすいからかもしれません。これは一概に言い切れないことだとしても、個性的な価値観の文化とそれに連動するトークンがつくりだす経済圏があれば、その中に喜びを見いだせる人もいるはずです。

ブロックチェーンにより独自の価値を設計段階から考えられるトークンが発行できる技術的な目処はたっています。あとはそれに応じたコミュニティーをどのように育てていくかです。

次回はお金とコンプレックスについて書きたいと思います。

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