お金とは何か#6『価値の尺度』

2019.10.28 [月]

お金とは何か #6
『価値の尺度』

お金の3大機能でまだこのシリーズで書いていなかった『価値の尺度』の機能について考えていきます。

尺度とは目盛りのついた定規のように、元々は長さを測る機能につけられた名称です。尺とは日本の昔の長さの単位ですね。

長さ、重さ、量を計れる概念と考えて良いでしょう。

バスト、ウェスト、ヒップのサイズを計る巻尺(メジャー)のように。

体重を計る、体重計のように。

ところが、『価値の尺度』とすると急に、ちょっとわかりにくく感じます。

それは価値という概念が、長さや重さのようには、客観的にわかりやすい概念ではないからです。

例えば、『無償の愛』というのは見返りを求めないで与えられる愛のことでしょうから、値段はつけられないけど、ある意味では値段をつけられないほど高い価値があるとも言えます。

だから『無償の愛』というものがあれば、それに対してお金は『価値の尺度』としての機能はつけられない。

お金が価値の尺度としての機能を持てるのは売買の可能な物に限られるということなのでしょう。

また尺度としての機能自体が、価値に影響を与える場合も多いと思われます。

投資と投機と価値の尺度

投資と投機がどう違うのか、あるいは一緒なのかは、長年、議論され説明されてきました。結局は時間軸の違いに過ぎないという説明も多くなされてきました。例えば、

a.比較的長期で行われるのが、投資。

b.比較的短期で行われるのが、投機。

というように。このように分類すると投機と投資は期間の差しかないことになります。価値の尺度という観点で投資と投機をみると以下のようにも説明できると私は考えます。

a.価値が正しく測られてない資産を売買して売買差益を得ようとするのが投機。

b.将来価値が上昇することを予想して資産を買って価値の上昇を待つのが投資。

このことからさらに考えると、投機で利益を得られるときは、お金の価値の尺度機能には誤りが発生していることと、それに気がつけているのがまだ少数である場合が多いのだと思われます。

具体例で考えてみます。

いわゆる仕手株や仮想通貨(暗号資産)でもクジラと呼ばれるごく少数の大量保有者がいる場合。その少数の大量保有者が何らかの都合で大量売却をした。(例、法定通貨での資金需要が発生して、ともかく、その資産を売らなければならなくなった)それにより価格が大きく下がった場合を想定してみましょう。

その仮想通貨(暗号資産)の中身は同じ機能として価値を保持していたのであれば、価格は同じ価値に対して下げたことになります。お金は尺度の機能をこのときも失っている。そのときに本来価値からもし大きく値下げしているなら素早く買って本来価値に短期感で戻したら売ることで利益を得るのが投機といえるでしょう。

こうやって考えてくると、『価値の尺度としての機能』と『長さの尺度としての機能』は様々な違いがあることがわかります。

違いの一番の理由は、お金は目盛り付きの定規と違って、それ自体も量と価値が連動する資産であることです。お金は交換するときの価格、少なくとも交換すると想定した場合の価格をもって、その対象となる物の価値を測っている。それに対して目盛り付きの定規は、交換する必要はなく、同じ定規で、何回でも長さを測ることができることにあるのでしょう。

長さを測るとき、測る人はそれで失う物はない、価値を測るときは、それを得たいときにいくらのお金となら交換できるだろうかと考え、実際に交換されている情報である価格をみることで測定をしていることが前提になっているので、気持ちの上でもその重さが全然違います。

お金は価値に影響を与える尺度か?

例えば、価値が変動する資産で考えてみます。

ビットコインの価格が低迷して、価格変動も少ないときは、取引高も低くなりがちです。

株でも、不動産でも、価格変動が少ないときは、取引高も低くなりがちです。

これらは資産の対象となる物は、買った値段より高く売って差額の利益を得たいと思う人たちが多いので、その資産の価格が上昇基調になると、争って買われるようになりさらに価格が上昇すること。逆に価格が一定のままだと、そのような利益が期待できないことから、買いたいと思う人が減ることから起きる現象です。

株式の価格の理論値は、売上げ、利益、トレンド等がありますが、株価の動向自体がまたその企業の業績に影響を与える効果があり、価格は理論値通りとならないことがほとんどです。もし理論通りに価格が決定されるのであれば、その差を見いだして投資を行えば、高確率で投資で成功できるはずですが、現実にはそのようになっていません。

今は理論を知っている人の多くが、株式市場に参加しているために差がつきにくいと言うこともありますが、実際の市場で取引される価格とは、その会社の価値が素直に反映されているわけではないことが多いのです。上がると予想する人が多ければ、買われてさらに上がる。下がると予想する人が多ければ売られてさらに下がる。

お金には価値の尺度としての機能がありますが、同時に、価値を変動させてしまう機能もあるのではないでしょうか?

ネットが価値と価格に与える影響

資産性の高い物は売買価格のトレンドそれ自体がフィードバックされるように将来価格を予想させ、直近の価格にまで影響されることを上記で説明しました。

そして、現代では特に若い世代では、日常用品にもこれに近い現象が起きているようです。例えばユニクロの服では最近あるデザインのTシャツが物不足で奪い合いになりました。自分が着るわけでなく、ネット上で転売すると利益を出せたためです。

転売までいかなくても、自分で使う物でも、いらなくなったときに、それなりの金額で売れそうであるかを若者は考えることが多くなっているようです。そしてそれが現在の価格に織り込まれる。これはネットによる、中古品売買の活発化が、新品の価格に影響を与えている現象です。

具体的には最初からメルカリで販売できるかを考えて買う人が増えてきたそうです。

そしてそのときの価格も、例えばユニクロの服は大量生産で価値がつきにくいのかと思っていたら、逆の現象が起きていました。ネットで買う場合は、試着ができないので、ユニクロだと多くの人が事前にそのサイズが自分に合うかがイメージできるため、むしろ買われやすい。

そういう価値はお金の尺度の機能で市場価格に反映されやすいのでしょうが、それらの背景がわかってないと、なぜその価格が形成されたかがわからずに考えてしまうこともあるかと思います。

価格は本当に価値を反映しているのか?

秋になるとサンマがおいしく食べられます。それぞれの食品は旬の時期が一番美味しく食べられます。サンマは庶民の味とも呼ばれていて、平年ですと一匹あたり100円くらいで買えます。

それにたいしてマグロの中トロのパックは普通に1000円くらいで売られています。

おそらく重量としてもサンマ一匹の方が重いようです。中トロはサンマの10倍の価値あるうまさなのでしょうか?これはおそらく、食べる側の気持ちの問題としか言い様のない部分と、秋のサンマはまぐろより需要を満たすほど大量に捕れるので、価格が下がるからとしか言いようがないのだと思います。

ただポイントになるとのは、価格という数値は、人間の気持ちが反映された部分がとても大きいと言うことです。食べ物に困るほどお金のない生活をしている人にとっては一食分の中トロよりも十食分のサンマの方が価値が高いでしょう。

でも、実際にスーパーマーケットで中トロは旬のサンマの10倍の値段で取引されているということはその値段で買うだけの価値を認めている人が少数でもいるということです。中トロは確かに美味しいですが、養殖マグロの場合はその脂はどこかねちっこく、私は旬のサンマのほうが美味しく感じます。中トロ大好きの私ですら素直に自分の味覚から考えるとそう感じます。

だから、価格という数値は、多くの人は世の中の価値観に大きく影響されて決めてしまっていて、それが実際の市場価値になっているのではないかと、私は思っています。

価値の尺度としてのお金の機能は、価値の決定要因としてのお金の機能と連動していると私は考えていると言うことです。

次回もお金とは何かのシリーズで続けていきたいと思います。

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