隠された存在を暴く──アートにおけるビジネスの可能性、そしてアートそのものの未来とは

2019.10.06 [日]

隠された存在を暴く──アートにおけるビジネスの可能性、そしてアートそのものの未来とは

自然科学的に知覚できない超常現象や、精神分析や社会科学では見えない関係性を「オカルト(隠された存在)」と総称し、インスタレーション作品を制作している美術家・久保ガエタン。彼の作品を見ると、「超自然」とは人間の想像力の本質だということに改めて気づかせてくれる。今回はアート業界におけるビジネスの可能性とブロックチェーンの先行きついて、ArtHub.jp代表の野呂 翔悟氏が話を聞いた。

─今回はアートとお金というテーマでお聞きしたいと思います。今は作品を実際に売っているんですか?

はい。売ってます。大型作品も売っていますが、作品のエレメントになる模型のようなものや、ドローイング・ダイアグラムも売っています。

-今はもう美術の作品だけで生活されているんですか?それとも兼業もされているんですか?

兼業として、広告代理店のTV-CM資料をつくっています。普段の制作とは距離を置いた、デザインという正攻法な手を動かす作業って、意外と頭の中が整理されてすっきりするんですよね。だから僕にとっては、代理店の仕事をすることで精神的なバランスがうまくとれていると思います。

─アートを売るということと自分が表現したいことが別のこともあると思います。そのバランスをどのようにとっていますか?

まずはやらなきゃいけないことをやって、その中で余力は残しておかないといけないと思っています。その余力でいかにパッケージ化するかが大事なんだと思いますね。大御所の人の作品でも、たまに「なんだこれ」「これが売れるんだ」というのがありますよね。そういう作品にすごい値段がついている。その理由は、その人自身がすごくいいものを別で作っていることの蓄積によって結晶化されているから、付加価値がついていくんです。

-確かに、アート作品の場合は象徴的なシンボルを作ってそれを元に売るというのもよくありますが、それらはいわゆるマーケティングに近いと思います。そういうものも意識されているんですか?

今言われると確かにそうだなと思いました。でも、無意識ですね。作品の模型を作るときは、次のことを考えたり、頭の中を整理することもできるので、自分にとっても重要だったりします。そういう機能もありますね。

隠された存在を暴く──アートにおけるビジネスの可能性、そしてアートそのものの未来とは

─次にブロックチェーンについてお伺いします。ブロックチェーンについてどんなイメージを持っていますか?

みんなが信頼し合わないと成り立たないもの、というイメージがあります。日本史最古の王である卑弥呼も、ブロックチェーンを使ってビットコインを作った最先端の日本人サトシナカモトも誰なのかがわからないところが惹かれます。

-昨今、少しずつアートにブロックチェーンを取り入れようという流れがあって、まずは「いつ、誰に、いくらで作品を買われたか」をブロックチェーン上に記録するというところから始まっています。そして、これからは作品自体をアセットトークン(実在資産と連動した通貨)化して、売買したり、みんなで共同所有したりと、ポイントを扱うようにアートの取引ができるようにようになっていく可能性もあると思います。そういう時代になった場合、アーティストの立場として、どう思われますか?

そうですね、すごく日本に向いている気がします。西洋の美術界はコレクターが支配的で、権力の象徴としてオークションで買う、というイメージがあります。一方、日本はそういった支配的な価値観の人が少なくて、自分ひとりが目立つのも好きでない。それに日本人はポイント制が大好きだし、みんなで応援するのがすごく好きだから、民族の体質としてはとても参入しやすいと思います。

─そうなった場合、それに見合った新しいタイプのアーティストも登場してくるのでしょうか?

従来の物質売買至上主義ではない、非中央集権的な資本を活用した新しいアートの形も生まれてくると思いますね。近年、人や歴史との関係性を作品にしたり、あるいは検索などによって見いだされた複数のソースを、別の論理でリンクさせて作品を成立させる、ハイパーリンク的な方法論としての作品が組み立てられていて、情報自体が作品となっている。「もの」が存在しない作品が顕著に増えた気がします。いわゆる彫刻家・画家というカテゴリーではなく、社会を編集しているアーティストのほうが多いのかもしれません。

隠された存在を暴く──アートにおけるビジネスの可能性、そしてアートそのものの未来とは

-ビジネスの世界では編集者が重宝されるようになっていますし、アート界でもそのような流れになっているのでしょうか?

プロデューサー的な立ち位置の人も増えているように思います。人や社会の動きに介入して操作しながら作品を作り上げていく。あまりにも主観的なジャーナリストは信憑性がないし、場を盛り上げるために空気を読み過ぎる客観的なDJもつまらない。プロデューサー的な立ち位置のアーティストは主観性も客観性も折り込めると思います。編集やリサーチばかりに頼りすぎて、ただの「まとめサイト」みたいになってしまうのも危険ですけれど。

─クリエイティブ性、カリスマ性、マーケティング力と、様々なものが合わさってアート作品は作られるということですね。

従来の作家が「もの」に依存していたのに対して、みんなで情報の作品を共有できれば、支配的な購買資本にとらわれないクリエイティブな作品をつくることができ、アーティストの独自性を支えることができる可能性あると思います。プロデューサーの立ち位置として俯瞰してコントロールする部分はもちろんありますが、それだけでなく、型を破る部分というのもやっぱりアートの力としては重要だなと思います。社会を編集するアーティストはそのひとつの形だと思いますね。

―アートにおけるビジネスの可能性から、アートそのものの展望についてもお伺いできました。本日はどうもありがとうございました。

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