貨幣の機能:交換の媒介(決済機能)
この機能についは以下のように説明されています。
—-Wikipedia“貨幣”より抜粋—-
貨幣を介する社会では、計量可能なモノと貨幣を相互に交換することで、共通に認められた価値である貨幣を介することで取引をスムーズに行える。これに対し、貨幣を介さない等価交換においては、取引が成立する条件として、相手が自分の欲しいモノを持っていることと同時に、自分が相手の欲しいモノを持っていることが必要となる。—————————-
現代に生きていると、上記のことが日常あまりにも当たり前に行われているので、この交換の媒介としての機能を意識しにくくなっています。
前回の記事で、戦争体験のある世代のお金の保存機能についての意識が、戦後世代と違うことを書きましたが、この交換機能についても違うことを、私は直接話を聞いた経験から知っています。
戦時中や戦後の混乱期は、3年数ヶ月で物価は100倍にも上昇するくらいですから、お金を持って、農家に行って、食料を買おう(分けてもらおう)としても相手にしてもらえなかった時代があります。
その頃は、例えば、大切な着物を持って行って食料と交換してもらうということもあったそうです。
交換機能は、前回までの記事で書いた価値の保存機能と連動しています。
価値が変動しやすい貨幣があったとしても、それでは売買が成立しにくいことは想像できますね。
でも、逆から考えると、貨幣は様々な物やサービスの交換を媒介する機能があるから、価値があるわけです。両方の機能が両方の機能を成り立たせているのです。
貨幣で交換できるモノとサービスを決める要因
普通に買い物できるモノは当然貨幣で交換できるモノですね。
お金で買えないモノって、お金と交換できないモノって、何で決まるのでしょう?また、価格って何で決まるのでしょう?
話を広げていくと、経済学そのものになってしまいます。交換は何によって起きるのでしょう?
例えば、
Aさん:お腹がすいたから、吉野家の牛丼食べよう。並盛り350円払う。
吉野屋:350円と引き換えに 牛丼並盛りを渡す。交換成立。
このとき、お腹がすいた、Aさんにとって、牛丼の価値は350円より高い。だから350円と牛丼を交換したい。
吉野家にとっては、材料費と経費を入れても、牛丼並盛りのコストは350円より下、350円と交換したい。
双方が出会って交換が成り立つのですね。普段当たり前すぎて意識していませんが。
そしてここで、両者にとって、350円の貨幣を媒介することでこの交換は成り立っています。
もしここで、Aさんが持っている、キーホルダー350円の価値があるから、これと牛丼並盛り交換してくれといっても、吉野家は牛丼と交換してくれないでしょう。そのキーホルダーの価値の評価方法もないし、そもそも店員にそんなことする権限与えられていないでしょうし。
ところが、350円分のお金、貨幣は、その貨幣の経済圏で生活している人たちすべての人にとって、350円の価値と共通認識されています。これも日常生活であまりに当然で意識されていませんね。
でも、上記のことと例を併せて考えると、交換の媒介となるお金(貨幣)があるからこそ、この金額(価格)なら売りだなと判断する人、買いだなと判断する人が両方いることで、交換が成り立っていることがわかります。
物々交換はフィクションか?
貨幣が広がる前の社会では物々交換が行われていたって、記述を、本やネットで当たり前のように見かけるのですが、私はそれは本当かなと思っています。
お金という媒介物がない状況では、自分が持っていないモノを得るためには物々交換か、強奪か、説得か方法が限られてきますが、どれも、お金がある場合より遙かに容易でないことが容易に(笑)想像できます。
Aさんが aというモノを持ち、bというモノを欲しがっている。bを得るためにはaを失ってもかまわない。
Bさんがaというモノを欲しがり、bを持っている。aを得るためにはbを失ってもかまわない。
ここまで条件が合致したAさんとBさんが出会うことでしか、この場合は物々交換が成立しない。
ネットが発達して、多人数参加のネットオークションがおこなわれている現代ですら、物々交換は容易とは限らない。
こう考えていくと、いくら楽観的に考えても、お金のない時代の物々交換は規模はかなり小さかったと私は推測しています。
交換の媒介物である貨幣があることで、交換が成り立つ割合が非常に高いことは、自分が、モノやサービスの交換をお金以外の方法でほとんど行っていないことからもわかります。大昔は、今より人口も少なく、交通手段も限られていたから、そもそも出会える人も少なかったでしょうから、今よりモノとモノの交換はむしろ困難だったはずです。
例外的に戦時中の日本では物々交換が頻繁に行われていました。
—-Wikipedia“物々交換”より抜粋—-
日本では第二次世界大戦(太平洋戦争)中に、しばしば物々交換が行われた。日本では食料が不足し、政府は食料品を配給制にしたが次第に配給される食料の量は減り、ついにはとてもではないが配給では人が生きてゆけないほどの量にまで減らしてしまった。
そこで街に住む人々はしかたなく、自分が持っている物、例えば着物(特に、日常には用いない高級な着物や「嫁入り道具」として持ってきた着物)、装飾品、食器、骨董品、腕時計等々、何でも交換してもらえそうな物を持って、汽車に乗り農村まで行き、農家めぐりを行い、自分が持ってきた物を農家の人の前に提示し、それを農家の側が評価して、米や野菜と交換したり、農家の側が交換を拒否したり、ということが行われた。
日本全体では食料が不足していて、街ではすっかり不足してしまっていたが、農家にはまだ十分な米や野菜があったのである。その結果、農家の蔵には、高級な着物や骨とう品が山のように集まってくることになった。
切迫した状況下、取引が全く成立しないと飢えてしまうような状況下にあるのはあくまで街の住人の側であり、農家の側からみれば、物々交換が成立しなくてもさほど困るような状況にはなく、街の人が次々に「助けて下さい」と懇願するように訪れるからその彼らの事情も考慮して(ある意味「情けで」)応じているわけで、基本的に、取引の場で主導権・決定権を握っているのは農家の側であった。————————
自分たちの食べ物がないほど、食料が不足した場合は、どんなに高くてもそれを手に入れるしかない。
貨幣の価値の保存機能が壊れていた戦時中は、平常時に価値が高いとされていたモノと食料と交換してもらうしかなかったということが、当時の状況からよくわかります。また緊急時は、命を維持するための食料等の生活必需品の価値が無制限に上昇するということがわかります。
貨幣の交換機能も、交換したいモノの価値について共通の認識を持つ人が複数存在すること、社会がある程度は安定していること等が基礎にあって機能していることもわかります。
貨幣の交換を媒介する機能は、貨幣自体の価値を普遍的なモノにしている。
マニアックな商品やサービスってありますよね。高い値段がつく骨董品があっても、その価値がわかるのは限られた少数の人です。ほとんどの人はその骨董品をもらっても困るし、すぐに売って現金化するか、使いみちがみつからないまましまい込まれることでしょう。
ところがお金(貨幣)の価値は、そのお金が流通する地域において、ほぼ全員に認められている。
だから、今買いたいモノはないけど、将来買いたいモノができたときにすぐ買える。持っているだけで嬉しいという対象物に貨幣はなり得ているのでしょう。
それが行き過ぎたのが現代なのではないでしょうか?
次回も貨幣の交換機能の続きを書いていきます。