ブロックチェーンとアート業界は同じ構造を持っている

2019.09.10 [火]

ブロックチェーンとアート業界は同じ構造を持っている

2008年、美術作品として家を借りる「シブハウス」を制作し、数々の展覧会でキュレーション作品を発表している齋藤恵汰。2013年には「ニッポンのジレンマ「新TOKYO論」」(NHK Eテレ)に出演するなど、大きな注目を浴びている。「アートはビジネスだ」と語り、文化事業家を自称する彼は、これからの価値は「倫理」にあると説く。 アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が、“アートの異端児”が考える現代の価値観の変容について浮かび上がらせる。

ー今のアート業界は、中立性がないと感じていますか?

美術館に展示され、小売で莫大な価値が付くことが倫理だとする向きが強過ぎると言えるのではないでしょうか。そのせいで、 “アート業界”という体制が存在しているかのように思われている。特定の強化されたネットワークだけでなく、いろいろなネットーワークがただ存在する状態があればいいと思うんです。

ーその考え方は、ブロックチェーンにおけるそれに似ています。

アート業界と呼ばれるものは本来中立性があって、ただのネットワークでしかなかったはずなんです。しかし、長い年月を経てそのネットワークがハッキングされたり、脆弱性が発見されたりして、最終的にプラットフォーマーとして強化されていった。こうした流れがブロックチェーンにも起きうるんじゃないか、とは考えています。ブロックチェーンはそれぞれのネットワーク自体が独自の構造を作ろうということだと思うのですが、それはずっとアートがやってきたことだよなって思うんです。

ブロックチェーンとアート業界は同じ構造を持っている

ーどういうことですか?

ブロックチェーンとアートは親和性が高過ぎるんですよ。ほぼ同じと言ってもいいぐらい。例えばアート業界にブロックチェーンを導入しようとして、みんなが合意形成して使っていきますよね。そうしたことって、これまでのアート業界もずっとやってきたはずなんです。新たな価値基準でネットーワークを構築していく、ということ。でも、これまではできなかった。結局はランドアートのように既存のシステムに組み込まれていくんです。それを、ブロックチェーンで解消できるかといえば、できないと思うんですよね。ブロックチェーンに可能性があるかないかの話じゃなくて。ブロックチェーンとアート業界が同じ構造をしてるということです。

ートークンで価値の流動性が生まれる可能性はありませんか? 例えば、これまで絵で食べられなかった人がSNS上などでトークンを獲得して食べられたりするといった事例が起きていくはずです。

辛辣ですけど、貧しいレベルではあると思います。それこそ、今日1日分ですら食べるものがないアーティストとか。フレンドファンディングの「polca」もそうで、平均的な収入がある人はほとんど使わないじゃないですか。だから、貧しいレベルではSNS上のトークンは使われていくと思います。一方で、ゲルハルト・リヒターの作品は数億から数十億円くらいで市場を流通していますが、SNSのトークンは絶対に別に使われないですよね。これがさっき話した、あまりに構造が同じ過ぎるがゆえに、ハッキングが難しいとお伝えした意味です。

ー “腕がいいのに食えてない”作家がSNSの「いいね!」で食えるようになるでしょうか?

ブロックチェーンとアート業界は同じ構造を持っている

下の世代は貪欲で、画家でもSNS対応をして、「いいね!」を集めるようになっているし、そういう人たちの絵は売れてるんですよね。だから、結局SNSもブロックチェーンも道具でしかなくて、人間の対応力のほうが高いんですよ。油絵で食っていきたい人は、SNS対応した油絵を作って、「いいね!」を集めて、販売しています。本当に食えていないアーティストはSNS対応したくないとか、ブロックチェーン対応したくないという人たち。私はむしろアーティストとしてはその姿勢は正しいと思います。SNSで売れやすい絵を描くっていうのは芸術ではなく、極端な話「イラストレーター」と同じですから。

ーシブハウスを売却するという行為は、既存のアートと小売の関係性と同じになるのではないでしょうか?

そう捉える人がいることは想定しています。アート業界には、いまだに最終的に売却されなければ芸術じゃない、という保守的な面がある。一方、シブハウスは売却された瞬間に芸術ではなく、ただの不動産売買に墜落する。そこの二重性から何が生まれるか。私はアートとして、シブハウスを売ろうと思って活動してきているけど、実際に本当に売れてしまうと「それはただの不動産売買だよね」ってツッコミが来るはずなんですよ。その二重性が「ビジネスがお金以外の価値を考えるとしたら」という話と全く同じで「作品性はどこにあるのか」と言う話に集約されていくんです。それはある種、保守的な人たちが持つ二重性、矛盾みたいなものが表面化されることだと思います。

ブロックチェーンとアート業界は同じ構造を持っている

ーでは「コミュニティ」という概念についてはどんなふうに捉えていますか?

 多くの人がコミュニティを、追跡可能なものだと考え過ぎていると思います。例えばオンラインサロンで、有料メンバーになって相手のことをある程度追跡可能になったら、そのコミュニティの成員だという考えることに賛成できないんです。コミュニティはもっと多層的なものなので、観測不可能な人も肯定することが大事。シブハウスに来たことがないけど好きな人から、「すごい楽しそうに見てます」って言われることがよくあるんです。そういう人がいることは、こっち側からは観測不可能。そういう関係性こそ、コミュニティであってほしいと思うんです。だから、一緒に住んでる、同居というだけがコミュニティではない。そうやって、経験的に共有できていない人ともコミュニティが一緒になっていくとしたら、それは芸術的なんじゃないか。経験的に共有されてない人たちと、むしろなにかを共有することが「コミュニティ」と呼ばれるようになったほうがいいなと思います。

ーこれまでのコミュニティの捉え方とは大きく違ってきますが、そうした価値観がいいというのはなぜでしょうか?

コミュニティに対して別の価値軸が発生して、よい倫理に近づくからです。観測不可能な人たちに思いを伝えられたほうがよいという、新たな価値観。これこそが高い倫理性だと思うので、社会がそっちに向かえるように、シブハウスの活動を続けていきたいと思います。

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