貨幣の3大機能
貨幣の3大機能お金とは、貨幣と同じ意味です。
そして貨幣には3大機能があります。面白いことに、現代人はお金をいつも意識させられているのに、そのお金の3大機能について即答できる人には滅多に会うことがありません。
それはおそらく、多くの人にとって、お金はその機能より、感情的に深く存在を認められているからではないかと、私は推測しています。
ですから、ここでは貨幣の3大機能とそれに対して人がどんな感情を持ち、どんな行動をとっているかを考えていきます。
1. 価値の保存機能
貨幣の名目上の価値は変化しません。お金を持ち続けていれば社会システムが安定している限り富を蓄えられます。それは貨幣に保存機能があるから、その機能と価値を多くの人が信じているからです。
2. 交換機能(決済機能)
決済とは、金銭等によって支払を行い取引を終了させること、または、金銭上の債務や債権等を清算することである。主に企業を一人称とする場合に使用されるが、広義には人にも当てはまるものであり、その場合も「決済」していることになる。(Wikipediaより)
3. 価値の尺度機能
販売されている食べ物やサービスには価格が表示されています。それにより商品やサービスの値打ち、価値を決める物差しとしての機能があります。
今回は価値の保存について詳しく述べていきます。
価値の保存機能
人類にとって、価値の保存が可能となったことは文明の誕生と連動、一体化しています。
狩猟採取を行っていた原始人にも文化の痕跡はありますが、古代文明の誕生と農業は連動しています。
農業により、穀物を計画的に得られるようになったこと。穀物には、保存性の高さがあるので、富の蓄積が可能となったこと。それにより、権力、価値の交換、分業体制、多人数が社会を形成することが可能になったのです。
私は貨幣の保存機能の起源は人類が初めて農業を始めたときの穀物にあると考えています。
近世の話になりますが、日本でも江戸時代までは、例えば、“加賀百万石”というようにその大名の領地で毎年採れるお米の量で、権力を評価(あるいは誇示)していました。
近代的な金融派生商品(デリバティブ)の誕生は日本の大阪の米相場の取引から始まったといわれています。※アメリカ合衆国の経済学者マートン・ミラーは堂島米会所を評価し、1998年12月6日に放送されたNHKスペシャル『マネー革命 第3回・金融工学の旗手たち』において「(明治政府の)規制さえなければ、日本はこの分野(先物取引)の先駆者になれたかもしれません」と発言している。
何故、江戸時代の日本が金融工学の世界最先端になったのかは、日本人がお米を保存し、その価値を安定させることに、世界一真剣だったからでないかと、私は推測しています。
飢饉のときも、豊作のときも、人間が生きていくために必要なお米の量に変わりはありません。ところが、飢饉のときと、豊作のときで、お米の価格は、大きく変動したはずです。
それに対応するために、例えば一年後にも現在と同じ価格でお米を買える権利という概念をつくりだし、その権利を取引所で売買できるようにしたのです。
ローマ時代にもオリーブを絞る機械を使用する権利の取引があり、それがオプション取引の起源とする説もあります。ただ、この権利を金融商品として取引所で売買できるようにしたことから、現代金融工学の起源を大阪堂島商品取引所とすることは、自然な説に思えます。
現代では、その権利(オプション)の取引が拡大しすぎて経済システムのリスクを逆に高めていますが、それはまた別のところで書きます。
価値が保存できるとは、価値が安定していることを前提にしていることが以上のことからもわかってきます。
貯蔵でき安定した価値の奴隷となる人類
『サピエンス全史』に詳しく書かれていますが、狩猟採取時代と農業を開始してからの人類では、自由時間の多さや、生活への刺激において狩猟時代の方が優っていたであろうことが詳細に語られています。むしろ狩猟時代の方が遥かに幸せだったのではないかと。食物を狩猟採取することに比較して、それを、自ら育てて(農業として栽培して)得ることが手間のかかることであろうことは、容易に想像できます。
人類は何故、農業を始めたのでしょうか? これは推測するしかないですが、安定性を求めた、それを労働時間が遥かに増えることより、大切に思ったからではないでしょうか?
狩猟採取では、食物が取れないときはまるで取れません。野生動物にはエサのない時期は冬眠できる動物もいますが、人類はおそらく冬眠はできない、あるいはしてこなかったのでしょう。
安定して穀物が得られれば、それを貯蔵して、飢える心配がなくなる。これは飢えた経験のない私達には、想像を超える素晴らしいことと感じられたのではないでしょうか?
現実味を持ってもらうために、私の経験を話します。15年ほど前、ゴルフ練習場で、戦争体験のある、紳士からこれに関連するお話を聴いたことがあります。その紳士は「戦争で死ぬことは全然怖くなかった!」そう何度も言うので、私はちょっとカッコつけているのかなと失礼な考えを持ってしまいました。ところが、次の一言で衝撃を受け、自分の浅い考えを恥じたのです。 「腹一杯、白い飯を食えれば、死んでも良かった。飢えるのが怖かった!!!」
と話されていました。飢えた経験のある人にしかわからない切実な思いが伝わってきたのです。
飢えることが死ぬことより恐ろしい、おなか一杯食べられたら死んでもいい。
これは飢えた経験がないと、本当のところは分からない感覚なのでしょう。
ところが現代は、
お金が無いことは恐ろしい、お金があったら、死んでもいい。
と思う人がいるから、過労死やお金を苦にした自殺があるともいえるのではないでしょうか?
人類は安定を求めて農業をはじめ、文明を築き、貨幣(お金)という道具を生み出した。
ところが、より良い生活のための道具であったハズの貨幣に絶対的な価値を感じてしまう人々が多く出てきた。
その理由の一つが、貨幣の貯蔵機能にもあるのです。
世の中には、お金を貯めたいと強く思っている人がたくさんいます。実際使わないでため込んでいる人もたくさんいます。特に使いたいものがない人もいるでしょうが、貯める目的は、安定を得たい、一生遊んで暮らせる、嫌な仕事をしないでいいくらいお金を持ちたい。そういう生々しい欲求も溢れています。そう願う理由の一つは、貨幣の機能の一つが貯蔵機能だから。
まるで、腐らないまま、永遠に保管できる、お米のように。
本当に価値は保存できているのか?
実は価値はある程度貯蔵保存できているが、永遠の価値の保存は無理であるだけでなく、その価値自体が、幻のような一面を持っています。例えば、お金と言えば、多くの人が自分の銀行口座の残高を思い出したりもすることでしょう。もし預金者全員が、全額を銀行から引き出そうとしたら、銀行は瞬殺されます。そして預金者には貯金のごく一部の現金(貨幣)しか戻らない。
価値とは常に完全に貯蔵保存することはできないのです。
例えば通貨は流通貨幣の略称ですから、これも貨幣そのものですが、経済の不安定な国の通貨は、いきなりの急落を今まで何度も、恒例行事でもあるかのように繰り返してきました。
現代の通貨の大半は国に近い立場の中央銀行が発行する法定通貨ですから、その国の経済と、その国の軍隊(自国を守るだけでなく、その通貨の強制通用力を無理矢理原油の決済に使わせ続ける等)とも強く関係しています。
結局、価値が貯蔵保存できていると、多くの人が信用していることが、ここでもそれが機能するための基本になっているのです。
次回は世代間での価値の意識差について書きたいと思います。