国や国際機関などが行なう規制は、企業活動にたがを嵌める印象を持たれることが多い。個人データを保護するGDPRもそうしたもののイメージが強いのではないか。しかし、メディア美学者の武邑光裕氏によれば、こうした規制は、むしろ新しい産業やスタートアップの誕生を促している面があるそうだ。インターネットの歴史をよく知る彼からは、どのような景色が見えているのだろう?
GDPRなどの法規制がヨーロッパらしい新しい産業を生む
一般データ保護規則と訳されるGDPR(General Data Protection Regulation)は、EU域内の個人データ保護を規定する法律である。日本では、ICTやマーケティングの分野で対策を講ずるべき規制として語られることが少なくないが、ベルリン在住するメディア美学者の武邑光裕氏は、もっとも個人の権利や尊厳などに配慮した先進的なサービスを産み出す活力源になっていると考える。
そもそも、GDPRには、どういう背景があるのか?
「ヨーロッパは、歴史的にも文化的にもプライバシーへの関心が高く、1970年9月に南西ドイツのヘッセン州で、世界初のデータ保護法が制定されました。またヨーロッパ各国でGDPRが制定された背景には、独裁政権による抑圧や情報機関による監視社会の記憶があります」
だが一方で、GDPRなどの法規制は、ヨーロッパらしい新しい産業を生み出す契機になっているという。
「ヨーロッパでは、自分のデータの大切にして、活用することも認識されていて、PSD2(ペイメント・サービス・ディレクティブ、改正決済サービス指令)という法律が設けられています。これにより、新しいFinTechサービスや、デジタル経済を発展させる土壌になっています。
例えば、私はドイツ銀行を利用しています。そして、私が明確な同意を与えた価値のあるFinTechサービスや、デジタル保険会社のようなところには、私の銀行口座の情報や取引の履歴を渡すことができる。逆にいえば、ドイツ銀行は、そうして情報提供することを、拒むことができません。こうしたデータポータビリティ(データの移植)がPSD2によって実現しています」
日本ではデータを預かって企業に提供し、その対価を預託者に還元する「情報銀行」が話題になっているが、ドイツでは一か所に情報が集まること自体を嫌う。つまり、「情報銀行」のような機関に個人情報が集められること自体にネガティブなのだ。
また、個人の主権や自己決定権を重視するため、誰に、どういう情報を渡すかを自らが管理しようとするが、情報銀行では、その運用を任せられることがメリットとして強調される。考え方が正反対なのだ。
その代わりに、ヨーロッパでは「デジタル・アセット・バンク」があると武邑氏は話す。
「デジタル・アセット・バンクは、一定規模のコミュニティで、デジタルカレンシーを作ったり、ブロックチェーンを活用して、様々な情報を提供し、便益を得られる取り組みです。
例えば、私がブロックチェーンを介してデジタル・アセット・バンクに、自家用車でどれくらい走っているかという情報を提供する。すると、保険会社が利用状況に応じて、私だけの保険料を提示してくれるのです。
こうすると、週末しか車に乗らない人と毎日乗る人とでは保険料が変わる。これは、個人情報を安心して提供できることで可能になるしくみで、その背景にはGDPRやPSD2などの環境整備が整っていることがあります」
さらに、デジタル・アセット・バンクの参加者が10万人、100万人規模になると、独自のICO(Initial coin offering、暗号資産の技術を使った資金調達)を行ない、それを投資して、リターンがあったときには、メンバーにビットコインで配当が配られるとか。
日本の情報銀行は、データを提供すると、そのデータが価値を生むとされる考え方だが、デジタル・アセット・バンクの場合は、得られるものが具体的に示されている。また、そもそもデータを売るというニュアンスや、データ保管の立場にない。
お金を預けると、それが運用されてリターンがある銀行のような比喩表現が、個人のプライバシーに関わるデータを預けることに当てはまるのか? と根源的な問いを、武邑氏は日本の情報銀行に対して持っている。人間が持つ表象能力をマニピュレートされないよう、こうした比喩表現には気をつけたい。
フリー経済は詐欺? シェアは搾取?
インターネットを黎明期から見てきた武邑氏は、これまでアメリカ的なカルチャーで発展してきたインターネットが、ヨーロッパ的なものさしを当てられることで、正反対の評価になるダイナミズムを目の当たりにしているという。例えば、フリーやシェアの文化は、非常にアメリカ的で、インターネット的な文化だが、ヨーロッパの人々はシェア経済は詐欺だった、フリーはクリエーターの創造性や可能性を大資本が吸い上げて、富を築くために濫用したと考えていることを紹介する。
「Wikipediaは匿名者の集合知によって作られ、インターネット・ドリームを実現したと長く言われてきました。けれど、ヨーロッパから見ると、あれは人々の創造性の搾取に映る。無料文化やシェア文化は、結局は大衆の創造主体を資本が吸い上げ、より大きな富を築くためのものと捉えられています。だから、アメリカから反対があった改正著作権法を躊躇なく可決した。これまでリンクを貼る行為は、互いにシェアをする良いことと考えられてきましたが、それは、著作権の侵害にあたり、創造的な尊厳、経済的な尊厳を奪うものだ、とされています」
日本では、こうしたことへの賛否どころか、議論すら行なわれていないことに、武邑氏は寂しさを感じている。というのも、ヨーロッパでは上述のようにデータ保護やプライバシーに意識が高い一方で、オンラインのトラッキング広告を肯定的に考える人が少なからずいる。そうした人たちは、自分に寄り添ってくれて、自分の欲しいものを推薦し、余計なものは排除してくれる。そのため、トラッキング広告の精度を上げるために、自分のプライバシーを積極的に提供することを良しとする人もいるのだ。
「大半の人は違うのですが、GDPRなどのデータ保護規制によって、利便性を求める人の幸福を喪失させてよいのかとの議論があります。これは「脱プライバシー」という急進的な考えです。規制当局やEUでは困惑しているようですが、自分のデータをどう扱うかを巡って議論が起きている。その背景には、オンライン上のプライバシーと、物理的なプライバシーでは、状況が異なるという事情があります。調整が困難なのです。
ただ、日本では、そもそもこうした議論すら成立しない。その結果、どんどんガラパゴス化が進んでいるように見えてくるんです」
ただし、日本は、あまりに無意識で、無関心ゆえに、先鋭的な議論に巻き込まれず、独自の文化を築くことができる側面がある。これをガラパゴス化や後進性として否定的に捉えるか、独自の文化として肯定的に捉えるかは、人それぞれの視点の問題かもしれない。ただし、そこに視差があることだけは、認識しておいたほうが良さそうだ。
1954年生まれ。メディア美学者。武邑塾塾長。日本大学芸術学部、京都造形芸術大学、東京大学大学院、札幌市立大学で教授職を歴任。80年代よりメディア論を講じ、インターネットの黎明期から現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究する。著書に『ベルリン・都市・未来』(太田出版、2018)、『記憶のゆくたてーデジタル・アーカイブの文化経済』(東京大学出版会、2003)、『さよなら、インターネット──GDPRはネットとデータをどう変えるのか』(ダイヤモンド社、2018)など。現在ベルリン在住。
取材・文/橋本 保 撮影/干川 修