Google登場以前に、情報検索と発想の新システムとして『「超」整理法』を提案し、個人の生産性を最大化する方法を編み出したことで、知られる野口悠紀雄氏。今もなお精力的に執筆活動をする野口氏が、その革新性を説き、これによって歴史的転換が起きると訴えているのがブロックチェーン技術による変革だ。
ブロックチェーンは、何が革新的なのか? そのインパクトの大きさを再確認しておきたい。
ブロックチェーンの真の革新性は「ビザンチン将軍問題」が解決されたこと
<人が新しい技術に出会ったときの反応は、それがどんなものであれ、つぎの3つの段階を経る。第1段階。こんなものはまやかしだ。こんな凄いことができるのなら、世界はひっくり返ってしまう。
だから、これはインチキでペテンだ。悪質な詐欺かもしれない。誰かが、ひと儲けを企んでいるのだろう。引っかかったら、後で大変な目にあう。クワバラ、クワバラ。賢い人は、こんなものには手を出さない>
野口悠紀雄氏が2017年に著した『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞出版社)は、こんな書き出しで始まる。ビットコインに使われている技術として認知されていた数年前は、ブロックチェーンについて、上記のような印象を持つ方が少なくなかったかもしれない。
野口氏は、インターネットは90年代の初めが、そのような第一段階で、90年代末から2000年代初頭に第2段階に入ったと振り返る。そして、いまブロックチェーンは、その領域に移りつつあると分析する。
では、第2段階に入ると、人々の反応は、どのようなものになるか。
<第2段階。ひょっとすると、何か大変なことが起きているのかもしれない。うまく対応しないと、後れをとる。気の早い連中はすでに走り出しているか、私もじっとしてはいられない。しかし、この得体のしれないものは、一体何なのだ?>(前掲書)
Facebookが関わった暗号通貨「リブラ」にもブロックチェーンが使われていることで、その技術の名前は飛躍的に有名になった。「リブラ」に象徴されるステーブルコイン(一般的には「価格変動(ボラティリティ)の無い通貨」を指し、価格が安定している暗号資産のこと)について、G7主要7か国の蔵相・中央銀行総裁が議長声明で、「ステーブルコインは誕生して間もない技術であるため、実際の利用環境下や、グローバルな決済システムを運営するうえで求められる規模での検証がほとんどなされていない。
さらに、特にマネーロンダリング及びテロ資金供与対策をはじめ、消費者・データ保護、サイバーレジリエンス、公正な競争、税務コンプライアンスといった公共政策上の優先課題に関連する多くの重大なリスクが生じる」(財務省の仮訳)と懸念を示しているのも、<何か大変なことが起きているのかもしれない>という反応の一例だろう。
野口氏は、次のように分析している。
「一部の人はブロックチェーンが大きな変化をもたらし、我々を豊かにしてくれるだろうと考えているけれども、まだインチキだと思っている人は少なくないようです。それは『リブラ』に対しては規制勢力が総力を挙げて、取り潰しにかかっていることからもわかります。
日本でも公文書の改ざんが大きなニュースになりましたが、あれはブロックチェーンを用いればかんたんに解決出来てしまう問題です。そうであるにもかかわらず、ブロックチェーンを用いようという議論は一向に起こってきません。ということは、ブロックチェーンの重要性がまだ十分に理解されていない。私には、そう思えます」
野口氏は、ブロックチェーンの真の革新性を、「ビザンチン将軍問題」が解決された点にあると強調する。ビザンチン将軍問題とは、信頼できない人々がグループで、信頼性が必要な仕事をするときに起きる根本的な問題で、分散システムを扱うコンピューター・サイエンスの世界では、ビザンチン故障、ビザンチン合意問題などとも言われ、長らく解決が不可能と言われていた。
「(ウェブブラウザのNCSA MosaicやNetscape Navigatorの開発者としても知られる)マーク・アンドリーセンが、ブロックチェーンによって何が実現出来たかというと、ビザンチン将軍問題が解決されたと言った。これは非常に重要です。ビザンチンは東ローマ帝国で、ある都市を包囲する将軍たちいたが彼らは仲が悪かった。
攻撃するか否かの軍事行動は共同して取り組む必要があるが、そもそも、そういうことは可能か? を扱うのがビザンチン将軍問題です」
繰り返しになるが、ブロックチェーンは誰が参加しているかわからない、悪意のある人がいるかもしれないという信頼できない者同士のネットワークでも、共同作業を可能にした。
では、従来は、どうやって信頼を築いていたのか?
「いままで信頼が必要な仕事においては、組織、特に大組織を信頼するしかなかった。大組織は悪いことをしないだろうから、そこが売るものを購入しても、そこにお金を送ったり、預けても大丈夫だろう、とみんなが考える。つまり、大組織の信頼に基づいて社会が運営されてきた。
しかし、ブロックチェーンは、恣意的な改ざんが出来ないしくみを作ったので、そのしくみが信頼できる。つまり、組織を信用するのではなく、ブロックチェーンのしくみ、より正確にいうとプルーフ・オブ・ワーク(PoW)というしくみを信頼することができる。組織を信頼するか、しくみを信頼するか、この違いは、人類史上有数のインパクトです」
公文書の改ざんや、違法薬物やセクハラ行為で刑事事件になる中央官庁の公務員、不正入試や体罰事件を起こす大学、具体的な例を挙げるまでもない民間企業など、これまでは信頼があるとされていた大組織が不祥事を起こすケースが少なくない。そうしたなかで、本当に組織は信頼できるのか? という疑問が社会に広がっている。
これは、決して日本だけではない。こうしたなかで、新しい信頼のメカニズムが必要とされているなかで、ブロックチェーンは、しくみとして信頼ができるものとして、注目されている。野口氏が「組織を信頼するか、しくみを信頼するか、この違いは、人類史上有数のインパクト」というのも、決して大げさな話ではない。本当に、何か大変なことが起きているのである。
人々を豊かにする技術は止めることができない
もちろん、ブロックチェーンにもいくつかの課題はある。例えば、量子コンピューターのように、従来とは桁違いの計算能力を持つコンピュータに、どう対処するかなどは、その典型だろう。ただし、そうした技術的な課題以上に深刻なのは、社会がブロックチェーンの可能性を理解し、それを受け入れられるかだ、と野口氏は考える。
「技術的にはブロックチェーンは既に利用可能な状況です。しかし、人々が技術を理解していないのはひとつの課題です。それ以上に大きいのは、ブロックチェーンによって職が奪われるのではないか、などと考える既存勢力の抵抗です。
例を挙げましょう。例えば公証人という仕事、これはある文書が、ある時点で存在していたということを証明する仕事です。この仕事は簡単にブロックチェーンに置き換えられます。
会社を設置する際に、定款をいまは公証人が認証しなくてはいけませんが、かなりの費用と手間がかかります。これを簡素化すべきという議論が起きましたが実現しませんでした。本当は、ブロックチェーンを用いて、自動化すべきなのですが」
野口氏が指摘するのは、昨年法務省の抵抗によって撤廃に至らなかった1件5万円の公証人手数料のこと。現在、株式会社は1円でも設立が可能だが、1回あたり一律5万円の手数料を、その多くが法務省や裁判所出身者とも報道されている公証人に支払う必要がある。
これを昨年、政府主導で改革を試みたが、実現に至らなかった。議論の過程では、いま話題の反社会的勢力が関わる法人が増えかねないとも言われたが、しくみを信用するブロックチェーンと、人を信用する現行制度と、どちらがその対策として有効といえるのか。野口氏が指摘するように、きちんと技術が理解されていれば、おかしな議論が起きることもないはずだ。
「これは、ブロックチェーンの話ではありませんが、本質が理解できていないケースとして似ていたのは、昨年、米下院の公聴会で議員がGoogleに質問した時のことです。ある議員が、『もし、このスマートフォンを持っていたら、私がどこを歩いているのか、(Googleは)わかるのか?」「Googleはその情報を持っているのか?」と追求していましたが、そんなことは当たり前の話。位置情報をオンにしているのは、それが便利だから利用者はオンにするのです。
GDPRをめぐる議論でも、あの考えで、プラットフォーム企業を規制できるはずがありません。独禁法の問題とは全然違う。
利用者が知らない間に承諾しているので、わかりやすく説明しろ、といいますが、それがわからないからといって、Googleの検索やGmailを使うのをやめますか? そういう問題ではない。
人々は便利だから、自分にメリットがあるから、使うのです。新しい技術の本質を理解する必要があります」
インターネットは、社会や政治のシステムに影響を及ぼすほどのインパクトを与えた。それは、人々を便利で豊かにする技術ゆえに広がった。組織ではなく、しくみが信頼できるというブロックチェーンも、人々の生活を豊かにする技術として、どのような影響を及ぼすかは別にして、社会に広がっていくことは間違いなさそうだ。
ちなみに、野口氏は新しい技術が第3段階になると<このすばらしい技術は世界を変えた。私が最初から考えていたとおりだ>という反応に変わるという。
この記事を読んだ方は、あとから振り返ったときに、第一段階で拒否反応を示していた人や、第2段階でも懐疑的だった人たちが、どのような振る舞いに変わるかを観察できるように、正しい知識を身につけておくべきではなかろうか。
野口悠紀雄氏
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.取得。現在、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。積極的な著述活動でもよく知られ『財政危機の構造』(東洋経済新報社、1980)でサントリー学芸賞、『情報の経済理論』(東洋経済新報社、1986)で日経・経済図書文化賞)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社 、1992)で吉野作造賞、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞出版社、2017)で大川出版賞を受賞するなど、その評価は高い。個人の生産性の最大化を目指した『「超」整理法』(中央新書、1993)のシリーズは、インターネットやスマホが普及したいまこそ、再評価されるべき古典。noteのページでも、その一端に触れることができる。
取材・文/編集部 撮影/篠田麦也