ブロックチェーンと著作権 #4

2019.08.07 [水]

ブロックチェーンと著作権 #4

著作物も著作権も大変化する時代

このブロックチェーンと著作権シリーズの最初の方で著作権という概念はグーテンベルクの印刷技術から始まったことを書きました。

グーテンベルクの前の時代にも、例えば中国で、木版画のような印刷技術がありましたが、グーテンベルクは「印刷のための合金、文字ごとに組み替えられる活字、印刷の品質が高い、大量に印刷できる」ということでそれまでと一線を画する印刷技術を作ったことで歴史に名を残しました。

それまでは、基本は手書きで移すしかなかったわけですから、そもそも著作権を侵害するということが実質行えなかったのでしょう。

印刷革命

この印刷は革命と言ってよい変化を歴史にもたらしました。

例えば、キリスト教の聖書を印刷することで、教会の一部の聖職者以外の人も聖書を読むことができるようになりました。

実験データも、方法の共有も、印刷が重要な役割を果たしています。

状況証拠的な話になりますが、グーテンベルクは1398年頃 – 1468年2月3日まで生存していました。

その後の、人類の科学の発展にこの印刷が起爆剤のような役目を果たしたと考えるタイミングも一致しています。

著作権は英語ではコピーライト、コピーする権利ですから、印刷から生まれた概念とわかりやすいですね。

IT革命と著作物と著作権

そして現代です。

1980年代からPCが広まり始め、

1990年代からはインターネットが広まり始めました。

2000年代後半からはスマホが広まり始め、今は全人類の過半数が持つまでになりました!(わずか10年!)

  • 著作物は情報の一種ですから、全てデジタルデータとして処理できます。
  • 印刷より遥かに簡単にコピーできます。
  • 遥かに簡単に加工もできます。
  • インターネットで、距離に縛られず、世界のどこへでも送れます。
  • それを多くの人が持つデジタルデバイス(スマホ、タブレット、PC等)で行えます。

グーテンベルクの印刷技術が著作物、著作権という概念をもたらした以上の大変化が、デジタルデバイスとインターネットにより、現代ではかつてと比較にならないスピードで急進展、急加速しているのです!

グーテンベルクはおそらく、品質の高い印刷技術を作りたかっただけで、自分の発明がここまで人類に大変化をもたらすとは想像すらしていなかったのではないでしょうか?

そう仮定して今後を類推すると、今目の前で起きているデジタルデータの処理技術は、私たちの想像を超えた大変化を人類にもたらすことになります!

 

日本の法律での著作物の定義の有用性

日本の著作権法は著作物を以下のように定義しています。

『思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術、又は音楽の範囲に属するものをいう』

海外でこのように著作物を明確に定義している著作権についての法律が見当たりませんでした。

定義が法律上与えられているということは、何をもって自分が著作物を作ったと主張できるかが、より明確になるので、有効活用しましょう!

『文芸、学術、美術、又は音楽の範囲』と書いてありますが、ブロックチェーンと著作権 #2で書いたように、アメリカとの大人の事情でコンピュータソフトウェア(プログラム)は著作権での保護対象になっています。これはどう考えても、文芸、学術、美術、音楽 どれにも当てはまりません。だからこの条文で一番、一般人として留意すべき部分は

『思想または感情を創作的に表現したもの』という部分にあると私は考えます。

これは、おそらく多くのビジネスマンにとって大きな発想の転換が必要なハズです。

まず、思想と感情の定義をみてみます。

思想とは

人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。(Wikipediaより)

感情とは

ヒトなどの動物がものごとや対象に対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある。(Wikipediaより)

両方とも、今までの一般的な仕事ではあまり重視されなかったことがほとんどなので、権利収入に結び付くような財産をつくるものと自然に感じられることに、最初は抵抗感がありました。

というのは、例えば仕事では、マーケティングでも、営業でも、人事でも、ほとんどの場合、事実に基づくデータを元に、より売上を伸ばすには、より優秀な人を効率よく採用するにはと考え、そういうものこそが仕事だと考え働いてきたからです。

一般的な仕事では、空想や思想的なことを述べたら、上司ばかりか同僚にもひかれてしまいそうです。

ところが、著作物というものは、むしろ事実ではだめなのです。自分の頭の中だけに存在するなにか、それを何らかの形で表現したもの。

空想や妄想で創作性ありと判断されたら、著作物として認められる確率はかなり上がるでしょう。

ところがビジネスマン的発想で、事実の完結を述べて、善後策を考えるみたいなことは、思想でも感情でもないと見なされて著作物とは見なされない可能性が高いでしょう。

今までの一般的な仕事では、仕事に役立たないと見なされたようなものの方が、著作権の保護対象である著作物と見なされやすい。そういう風に読み取れるのです。

 

人類の進化と価値を感ずるものの変化

人類が生きるために一生懸命の時代は、今より食べ物の価値は高かったでしょう。

今でも、食べ物がなければ人間は生きていけませんが、実質、先進国で飢え死にする人は滅多にいません。ところが、心が満たされずに、精神に異常をきたす人や、自殺する人はたくさんいます。日本の場合だと、毎年の自殺者数はピーク時の約3万人から2万人程まで下がってきましたが、今度は孤独死が注目されています。

著作物がその全ての答えになるわけではないでしょうが、心の栄養となるような刺激を、現代の多くの人が、食べ物より切実に求めているとしても、それはあり得ることです。

思想や感情を表現した著作物、例えば孤独感にかられる作家の書いた空想の小説が、孤独に苦しむ読者の心に何らかの元気を与えてくれるようなこと。

だから著作物は、それが高度経済成長時代の仕事の感覚から考えると、それを作る活動に対して、仕事的な価値観を感じることに違和感があるとしても、実際に今の世の中で必要とされているものだと思うのです。

 

表現の大切さ

表現することで初めて著作物と見なされること、これも大切な必須要素です。

あなたの周りにもいませんか?ボンヤリしたアイデアの断片だけ述べて、懸命の努力で出来上がってきたものに、後から自分も同じこと考えていたという人。

大切なのは表現することなのです。表現しなければ、それを他人と分かち合うこともできず、かつ、実は表現する過程で、思想も感情も明確になっていくからです。

自分の思いを大切にしたい人、その思いで誰かに元気を与えたい人は表現することの大切さを心に刻むだけでなく、実際に表現するという活動を毎日続けることが大切でしょう。

私も拙い文章でも書き続けているのは、それを信じているからなのです。

 

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