2019.08.01 [木]

あらゆる前提を疑い、多様度の高い世界を生きていく

80年代カルチャーを彷彿とさせるノスタルジックな装いで、懐かしくも新しいエレクトロミュージックを奏でる「Satellite Young」。

レーベルに所属せず、インターネットでの楽曲配信とライブ活動のみにも関わらず、2017年にはアメリカの音楽フェス「SXSW」への出演を果たすなど世界中から熱狂的な視線が注がれている。

ボーカルと作詞、作曲を手がける草野絵美は自身がレトロカルチャーの大ファン。イノベーションが叫ばれる現代にあって、彼女はなぜノスタルジーな世界を追い求めるのか。

アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏と草野が、80年代カルチャーの再評価やブロックチェーンによる前提が通用しない世界などを語り合った。

 

Satellite Youngとしての活動を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

そもそも、音楽というフォーマットに対してはそこまでこだわりはないんです。

原点にあるのはレトロなものが好きという想いで、子どもの頃から自分が生まれる前に流行っていたCDを図書館に探しに行っていました。

山口百恵から、松田聖子、ピンクレディなど、歌謡曲が大好きでした。80年代とか90年代のバブルな時代の感じも好きですね。

そうした背景がある中、学生時代にウェブサービスを作りスタートアップを起業したんです。

その時はシリコンバレーバブルだったので「世界を変えよう、大学なんてやめて起業しちゃいなよ」みたいな人が周りにたくさんいました。

“イノベーション”とかとにかくカタカナ言葉を叫んでいる雰囲気が80年代とすごくマッチしていて、これを形にしたいと思ったのがSatellite Youngの始まりなんです。

あらゆる前提を疑い、多様度の高い世界を生きていく

ー奇しくも最近、80年代のアニメカルチャーが海外で再評価され始めていますね。

ここ56年で、80年代のアニメが世界で再評価されてるという現象は、今のテクノロジーの発展が80年代のアニメで描かれたものと連動してるからだと思います。

攻殻機動隊やブレードランナーがリバイバルするのは、専門家だけでなく一般の人たちも「人間と区別がつかないロボットが出てきたらどうしよう」と考えるようになったからではないでしょうか。

SXSWに出演することになったのも、そうした80年代カルチャー再燃の流れからでしょうか?

Satellite Youngのニッチなファンが世界中に散らばっています。

シンセウェイブ(Synthwave)という80年代の映画音楽やビデオゲームから影響を受けたシーンで、あるネットレーベルから数曲配信しました。

それでだんだんと知名度が上がって、シンセウェイブの生みの親みたいな人とも2度ほどフューチャリングさせていただいたことがきっかけで、ファンが増えました。

そのファンの人がSXSWの担当者に「Satellite Youngを来年出演させてほしい!」って言ってくれたんです。

ー最近はアート作品も精力的に制作されているとお聞きしました。

人工生命という、東京大学の池上高志教授が専門にされている分野があって。ざっくり言うと、人工的に生命体をつくることで「生命とは何か」を探求しているのですが、これをテーマにアート作品を制作する2ヶ月間のハッカソン「Art Hack Day」に参加したんです。

そこで何人かとチームを組んで作ったのが、「Singing Dream」という作品です。

この作品はある日、カラオケマシーンが生命を宿し、人工的につくった機械が増殖していったり子孫繁栄していったり、ネットワークを形成して、会話するようになったらどうなるんだろう、というのを想像して出来上がった作品です。

カラオケの気持ちになって作詞をして、MVを撮ったりもしました。

ーなるほど。経歴や価値観をお聞きしたところ、草野さんは、いわゆる “日本人らしくない” 生き方をしてますね。

日本人らしさってなんなんでしょう。確かに、日本におけるトラディショナルな固定観念に縛られない生き方をしているのは、両親の影響が大きいのかもしれません。デザイナーで画家の父と、もともとは専業主婦だったけど50歳をすぎてブログがバズり、作家デビューした母。

でも一番影響大きかったのは、高校時代にアメリカのユタ州に留学したことだと思っています。

アメリカって、カリフォルニアとかニューヨークみたいな人種のるつぼっていうリベラルなイメージを抱いてたんですけど、ユタはほぼ全員がモルモン教徒で、すごくクリーンで落ち着いた街でした。

キリスト教の中でも厳しい一派で、デートするときは2組以上、婚前のセックス、お酒・カフェインも禁止。私のようなアジア系は1割もいません。

みんな優しく接してくれるんですけど、揺るぎない宗教観と白人が中心の世界で生きているからか、意図しない偏見や差別を感じることはありました。

ー思い描いていたアメリカ像とは全然違った。高校生にとっては、かなり印象的な経験でしたでしょうね。

そうでしたね。留学は1年間で、その後日本に戻って東京にある国際色豊かな高校に行ったんです。そこには大使館の親を持つ子もいれば、パブに勤める両親を持つ子だっている。ギャルもいれば優等生もいるという世界でした。

しかも、ほとんどの子が2ヶ国語以上話せるんです。その国際的な一面をみて、「東京の方が多様性があるな」と価値観が大きく変わりました。

ー具体的にはどう変わったのでしょう?

アメリカはこうだ、日本はこうだ、という自分が持っている前提を何でも疑うようになりました。

あとは、多様性の度合いが高いコミュニティのほうが、自分が居心地がいい事を学びました。

小・中学生のときまでは社会に対して許容がないな、と思っていたのですが、高校時代の体験を経てから、より多様度が高いとこに自分から飛び込んでいけるようになった。

アメリカ的でも日本的でもない独自の価値観は、そうやって築きあげられたのかなと思います。

あらゆる前提を疑い、多様度の高い世界を生きていく

ー日本もこれまでモルモン教のような「こうあるべき」という作られた価値観があって、今も迷っている人は多いと思うんです。

草野さんのように、多様性に触れてきたことで自分の価値観を持てる、ということは重要ですし、アートや音楽を通じてそういう生き方を示して発信していくことも大事だと思います。

そうですね。作品を通して多様な生き方を伝えたいという感覚があるわけではないんですけど、SNSでの発信やこういうインタビューのときには「 “固定観念を捨ててほしい” と伝えていく」という使命感があります。

私はかつて、どのコミュニティにいるときも「自分だけが違う」という経験を積み重ねてきました。

21歳で子どもを産んだのですが、当時は大学生。妊婦さんの大学生は私しかいませんでした。その前には一度起業しているのですが、そういうことをしている人も周りにそんなにいませんでした。

高校生のときも効率よく稼げて人脈を広げたりいろんな世界が見られると思って、お小遣いで買ったカメラでファッションスナップを撮ったりしてました。

学生時代はそういう風に投資した方がいいなって思って動いていました。いい経験だったと思います。

ー自分の頭で考えるからでしょうね。

ですかね(笑)。だから、急に音楽始めたときも、「なんで音楽何始めたの?今までやってなかったじゃん」って言われても「別によくない?」って感じでしたね。

 

(後編へ続く)

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