杉村太蔵。
この名前を聞いて、どんなプロフィールを思い浮かべるだろう? 「早く料亭に行きたい」など自由奔放な発言をしていた元衆議院議員、薄口政治評論家、テレビタレント、投資家などなど。その彼も、今夏に不惑を迎える。
いま彼が、熱心に取り組んでいるのが「人口減少」「若者起業支援」を解決し、日本経済を活性化することができないか、という社会問題。
この対策に「基礎所得保障」「最低生活保障」などと訳される「ベーシックインカム(basic income、BI」の日本への導入が可能かを慶応大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程に在籍し、研究しているほか、自らも「企業版ベーシックインカム」と呼ぶプロジェクトを手がけている。
なぜ「企業版ベーシックインカム」か?
「私たちのプロジェクトはいくつかの狙いがあります。そのお話をする大前提として、これから世の中は大きく変化していくなかで、企業が新入社員を採用し、30年、40年も雇用してくれる、少し言い方を変えるならば、首切りをせずに雇い続けますという約束を守ってくれる会社って、果たして存在しえるのだろうか、ということです。これは良い悪いの話ではなく、そうなっていくだろう、という事実です。
とすると、いま日本の若者に足りない視点は何か? 終身雇用はいい制度ですけれど、維持できないとなると、自ら起業するという意識や環境が足りないのではないか、と思います。いろんな働き方はありますが、自ら起業する選択肢は、あまりにも少ない。なので、もっと若い人たちに、起業するという視点や、選択肢を持って欲しい。
そして、やはり人口減少。とくに地方は人口減少が激しい。これに、まず歯止めをかけたい。
この『人口減少』『若者起業支援』に向けた対策を同時に行なうことで、日本経済の活性化に役立つことができないか、と思って2018年から始めたのが、『企業版ベーシックインカム』というプロジェクトです」
この「企業版ベーシックインカム」のプロジェクトが行なわれているのは、彼の出身地である北海道旭川市からさらに約100km北にある音威子府村(アイヌ語で、濁りたる泥川、漂木の堆積する川口、または切れ曲がる川尻の意)。
同村のウェブサイトによると、平成31年4月末の人口は、743人(485世帯)。平成に入ってから人口が1000人を下回り、「北海道で一番小さな村」をアピールするほど、人口減少などの問題を抱える。
杉村氏が、用意している支援は、
①音威子府村に、移住を条件に、
②1年以内に、起業もしくは起業を目指す、これを条件に、住居、光熱費、通信、食費などの最低限の必要経費を、杉村氏の会社(株式会社杉村太蔵事務所)が支援する。
たとえば、現在、北海道大学休学中に、音威子府村に移住した伊藤広樹さん(25歳)には、約12万円の支援をしている。
「私は、ベーシックインカムに関心を持って慶應義塾大学で研究を始めたんですが、これを日本に導入することは、現実的ではないという結論に至っています。けれど、これを少し変えることで、人口減少や起業家支援が可能になり、その組み合わせは日本経済を活性化させるのではと、組み立て直したのが『企業版ベーシックインカム』です。
まずは音威子府村に移住してもらって、何ができるだろうと、自由な発想で、起業を目指してほしい。そのことで、人口減少の一助に出来ないか、と。
また、別の切り口としては、大都市ではニートやひきこもりの方へのまなざしが厳しくなっていますよね。こういった人たちこそ生活環境を変え、北海道のあの大自然の中に身を投じ、あの雄大な自然のなかで自分の人生見つめ直し、チャレンジする元気を養って欲しい、そんな思いもあるんです」
一期目の夫婦はYouTuberを目指すが失敗。その理由は?
とはいえ、そんなに話はうまくいくのだろうか? 読者は、そういう疑問を持つはずだ。
「いまプロジェクトは二期目に入っていて、(2018年の)一期目には、朴さんという日本人と、在日韓国人の夫妻が音威子府村に行ってくれました。ご主人は京都大学を卒業し、横浜市のメーカーに勤めていて、奥さんは同志社大学を卒業し航空会社で客室乗務員をされていた方です。
お二人は、音威子府村を拠点にしたYouTuberを目指したんです。YouTuberって、テレビタレントのようなことをして、自ら広告収入を得ていきますよね。ですが、結論としては、失敗でした。そして朴夫妻は、音威子府村から離れてしまいました。
これには、いくつかの要因があり、これは仕方がないな、と感じています。
ひとつは、通信環境が圧倒的に劣っているので、生中継をしていても安定して通信が出来ず、途中で切れてしまうこともあったとか。また、音威子府村の外に出ていくと、今度はスマホの通信エリアから出てしまって中継ができない。
都市部にいると、気づかないのですが、通信インフラは全国一律でなく、大きな格差がある。これは、過疎地域の大きな課題ですね。
もうひとつは、移動にコストがかかりすぎる。旭川空港から車で2時間半~3時間、冬だともう少し時間がかかる。東京から車で2~3時間以上移動することを想像してください。ガソリン代は大変なものです。
お二人には、夫婦で約24万円を支給し、YouTuberの活動のなかで、地元の音威子府村の広報をしていただくなど、地域活性化には一年間がんばってくれました。
また、ご本人たちも地元の方たちに韓国料理を振る舞ったり、韓国料理の教室を開催するなど、努力をしてくれたのですが、やはり環境的な要因には抗えない。
なので、起業は失敗し、定住にも失敗しました。私たちが取り組んでいるチャレンジは、決して甘いものではないことを実感しています」
ただし、上記のような経験をすることで、起業支援とまでいかなくても地域活性化に通信環境の整備が欠かせないという課題の切迫感は浮き彫りになった。
「政府や行政が、都市と地方との格差をなくすといっていただけるならば、せめて通信インフラは、なんとかして欲しい。道路を作る、空港を作るよりも、遥かにコストはかからないはずですし、いまはこれだけインターネットが生活で使われている時代ですから。理想的には、霞が関と音威子府村は全然変わりませんよという状態にしてほしい。これね、政治が解決していかなければいけない課題ですよね」
私は投資家です。しっかり回収します
こうした失敗を経験しているが、起業の蕾が膨らみ始めている。
慶應義塾大学を休学して移住した濱﨑瑞樹さん(20歳)さんは、地元で使われていなかった築30年のスキー合宿所をリフォームして、2018年10月に、同村で初めての民泊施設「イケレ音威子府」として運営をはじめた。1泊素泊まりで3000~4000円。東京や大阪をはじめ、全国からバイク愛好家、スキー客、鉄道ファンなどが宿泊して、半年で約80万円の売上があった。
「合宿所は、私の会社が買い上げて、約600万円のリフォームを行なって、きれいな施設にしました。ぜひ、泊まりに行ってください。
また、私は投資家なので、その視点で見てみると、物件にかかった費用(取得費150万円+リフォーム600万円)が750万円で、すでに半年で80万円の売上実績ができた。これ、不動産投資で考えたら、とんでもない案件ですよね。
いま浜崎くんは、『イケレ音威子府』の施設を自己所有にすることも考えているんです。私への使用料をなくすことができますから。そうしたら、その物件取得費を、音威子府村が補助金を出そうという話になったんです。
村には、以前に施行した中小企業振興条例があるので、これを改正して、この事案に適用して、半額の約400万円近くを補助してくれる、と。
さらに、その話を聞いた地元の信用金庫が、もし村の補助金が助成されるならば、それを条件に、残りの半分を融資しましょう、という話も持ち上がっている。
つまり、地元の信用金庫は、村の補助が入ることと売上実績をベースに、融資基準を考えるということになっている。私たちは、さらに地方創生ファンドにして、さらに足腰を強くしていこうと将来的には考えています」
少し出来すぎた話のようにも思えるが、地元の北海道新聞でも非常に好意的に取り上げられ、堅実に支援の輪が広がっていることをうかがわせる。
「ぼくは、慈善事業家ではないので、出資したお金は絶対に回収します。ここが、“企業版”というところの味噌なんです。僕は、儲けますよ。そのために、投資します。年間240万円くらい投資します。でも、将来的に株式会社イケレ(浜崎さんが起業した「イケレ音威子府」の運営会社)にも出資することで、彼が成功すれば、その株主として配当収入を得られる。それを、僕は狙っているんです、だから、僕は投資家なんです。
いくらきれい事いっても、利益を追求しない地方活性化、地方創生はありえません。きちっと利益を出していく。皆さん意外に思うかもしれませんが、起業は地方のほうがやりやすいと思います。雇われるのは東京のほうがいいけれどね(笑)。
音威子府村は、レストラン、パン屋さん、ケーキ屋さん、洋服屋さん、美容室、なんにもありません。民泊でも、同じ料金で東京でやろうとしたら、ものすごい競争にさらされるので、資本力のあるところでないと、生き残れません。
つまり、音威子府村、ひいては人口減少の課題を抱える地域は、産業の砂漠地帯なので、ほとんど競争がありません。だから、チャンスがあるんです」
いま杉村さんは、さらに次のステップとして、音威子府村にスナックを作る計画を温めている。やはり、人間には、そうした憩いの場が必要ではないか、という彼らしい着想から生まれたものだ。
国立大学を中退し、ニートやフリーターを経験したヒラリーマン(ヒラのサラリーマン)が国会議員に転身し、大バッシングにさらされた後に、テレビタレントとして復活した杉村さん。彼の惑わされず、めげない姿勢が、日本の社会課題解決に一石を投じるのか、興味を持つ人は少なくない。
杉村太蔵
1979年8月13日生まれ、北海道旭川市出身。筑波大学中退後、派遣社員から外資系証券会社勤務を経て、2005年9月に行なわれた第44回衆議院議員総選挙(南関東比例区)で最年少当選。ニート・フリーター問題など若年者雇用の環境改善に尽力するかたわら、テレビタレントとしても活動し、「サンデージャポン」(TBS系)、「幸せ!ボンビーガール」(日本テレビ系)、「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)などに出演する。著書に「バカでも資産1億円」(小学館、2014)があり、実業家・投資家としても活躍する。現在、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程に在籍。私生活では三児の父。
文/編集部 撮影/篠田麦也