社会学のなかに、データ解析を駆使して社会の姿を知ろうとする計量社会学という分野がある。
日本で過去60年以上も継続的に行なわれているSSM調査の「SSM2015」、そして2015年から始まった「SSP2015」の両方に深く関わり、計量社会意識論、学歴社会論をテーマにするのが大阪大学大学院人間科学研究科教授の吉川徹氏。
吉川氏から見えている日本社会の今後に、スタートアップが取り組むべき課題がありそうだ。
日本社会における大卒層と非大卒層の「学歴分断」
<僕ら計量社会学者が何をするかというと、全国津々浦々で普通に生きている人たちに、暮らしぶりや考え方についてのさまざまな質問をする。そうやって得られた何千人という規模のデータを統計的な手法で読み解いて、社会全体がどのような状態にあるのかを測量するわけです。
じゃあなぜ、全国の大量のデータを分析するのかというと、日常的な経験では、物の見方がどうしても「虫瞰的」になってしまいます。計量社会学のメリットは、「鳥瞰的」に、つまり上空の高い地点から広い視野で社会全体を見ることができる点にあります>
社会学は、政治学、法学、経済学などがカバーしていない社会科学の領域や、誰もが日常的に知っている「世の中」を研究対象にして、生活者の目線とは違う事実を説明する仕事ともいわれる。この社会学をデータ解析という手法を使って行なうのが計量社会学。上記の引用は、最近は小説家としても活躍する「社会学者の古市憲寿氏」が、<吉川さんが専門にされている「計量社会学」は、どういう学問なんでしょうか>という質問をしたときの答えだ。
(『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(光文社新書、2016)より)。
ブロックチェーン、IoT、トークンエコノミー、信用経済など。いま新しいテクノロジーによって、私たちの社会は、大きく変わろうとしている。
けれど、そもそも私たちの社会は、どんな姿をしているのだろうか。吉川氏は以前から、日本社会には大卒層と非大卒層の間に「学歴分断」があり、大卒層が日本の常識を形成しがちで、意思決定を行なう経営者やマネジメント層、行政機関、政治家などは、非大卒層への理解と関心が薄いと訴えている。
要は、大卒者の非大卒者への眼差しが冷たい、そもそも非大卒層の存在を認識しているのか、ということだろう。
「日本の政策や行政の対応は、大卒層しか見ていないのではないかと思います。義務教育+高校の6・3・3の12年もの間、レベルの高い教育を受けているにも関わらず、高卒を低学歴だとみなす人もいますから」
日本の社会学者たちは、10年ごとに大規模な学術社会調査を実施して、時代変化を計測している。前回行なわれたのは2015年(第7回SSM調査、第1回SSP調査)で、吉川氏は、両方の調査プロジェクトに深く関わった。
ちなみにSSM調査は「Social Stratification and Social Mobility」の頭文字を取った調査で、過去60年も継続されている時系列調査で、仕事、経済状態、資産、親世代や子ども世代との関係などの情報を、旧来の方法で尋ねる。
一方、SSP調査は「Stratification and Social Psychology」の頭文字を取った調査で、意見や価値観などの社会的態度、社会的活動の経験や頻度など現代人の主体性にかかわる情報を、新たに開発したタブレットPCによって取得する。
「SSM調査は、1950年代から同じ形で、定点観測みたいに続けています。どういう調査かというと、まず対象者を台帳から精密に抽出する。これはアメリカでは出来なかった理想の手法です。そして訓練された調査員が訪問面接して、紙と鉛筆で解答を得る。
このスタイルをペーパー&ペンシルというんですが、これを50年代からずっと続けているのは日本だけ。ほかの国では、もう少し大雑把に回答者を選んで、ノートパソコンを使ってキーボード入力をしてもらっています。
ただ、継続調査は一回やり始めたら、同じ方法で続けないといけない。報道機関の世論調査などで内閣支持率を聞く際に、調査の方法をタブレットに変えると結果数値は変わってしまう。また、電話調査でも、固定電話のみか、携帯電話までを含めるかどうかで、支持率が変わる。それが怖いので、これまで社会学者も旧式のペーパー&ペンシルを変えられなかったんです。
一方、2015年に行なったSSP調査では、タブレットを使いました。タブレットが使えるならば、今後の調査対象は団塊世代よりも若い世代が中心になっていくので、自分のスマホでやれるのではないかとも考えています。
こうしたことが可能なのは、大半の国民が高校以上の教育を受けているので、進化していくIT機器などを、だれもが当たり前のように使いこなすことができるからだと思います」
きちんと訪問調査なども行なえるスキルやリテラシー、さらには調査に協力する意識を全国レベルで備えられているのは、中等教育までのレベルが高いため、と吉川氏はみる。
日本の教育水準を危ぶむ際に引き合いに出されるOECDの調査でも、日本の標準的な教育レベルや成人の学力水準は決して低くないことがわかっている。
実は合理的かもしれない「軽学歴」という選択
戦後から現在まで、大卒学歴をあえて選ばないという人が日本には一定数いる。
この層のライフプランは、有効性が怪しいとも言われ始めている大卒学歴とは距離を置き、人生の序盤でお金と時間を費やすのではなく、自分の将来に必要十分な知識と技能を手早く身につけて仕事に就くというもので、当人たちにとっては相応の合理性のあるものだと吉川氏は考えている。
例えば、すし職人をめざす人は大学で栄養学を習得することは稀だろうし、雑貨店の開業にMBA(経営学修士)が必要と考えることは少ないはず。
積極的か消極的かは別にして、自分のライフプランにおいて、学歴に重きを置く重学歴派に対する軽学歴派は、実は日本社会の半数以上を割合を占めるという。
「中間的な賃金で、管理職や経営者になることを人生の至上命題とするわけではなく、地道な仕事で社会を支えている人が数多くいるから、日本の国際的な評価がは今の水準にまで高まったんですよ。
外国から来た人が空港から降りたときに、日本ってクールだなと思わせているのは、非大卒の仕事の質の高さなんだと思います」
こうした日本の宝ともいえる非大卒層を、もっと活用すべきと吉川氏は訴える。
「15年くらい前に、デジタル・デバイド(情報通信技術を利用できる人、できない人の間に生じる格差)が大卒と非大卒の間を分断し、(非大卒層に)普及率が上がらないという話がありましたが、日本は、そういう国ではありませんでしたね。
やっぱり9割以上が高校教育を受けているという国民の潜在能力は高いうえ、新しいものにキャッチアップしていく積極性もある。
これから、さらに高度になるIT社会においても、こうしたツールが大卒エリートの占有物ではなく、社会の末端まで広く普及するように思います」
それでは、今後ソーシャルスコアやトークンエコノミーなど、貨幣とは違う価値で新しい信用のしくみが構想される社会で、吉川氏がいう非大卒の軽学歴の人たちは、取り残されてしまうのか。
「はっきりとしたことはわかりません。けれど、イノベーションが大卒/非大卒の学歴分断を強めるとは思いません。繰り返しますが、非大卒層は軽いけれども必要十分な知識と能力を備えているので、スマホやSNSの普及についていったのと同じように、うまく対応するでしょう。
(社会を変えたと言われる)SNSは今ではみんなが使っていますよね。使っているけれど、大卒層は、ビジネス上の知り合いや大学の同窓生などとつながって、非大卒層は地元や高校時代の友だちとつながっている。
確かにそこでやり取りされるコンテンツやコミュニケーションは分断されがちだけれど、インフラは同じものを使っている。こうしたことを見ても、新しいことには非大卒層なりの受け止め方で対応していくはずです。
中国では、あれだけ教育水準の違いがありながらも、都市でも農村でもスマホのキャッシュレス決済がものすごく使われています。それを考えると、日本の非大卒層がイノベーションから取り残される姿は想像できません。
見方を変えると、日本はどこの国よりも質の高い大衆を備えた、社会変革の準備ができた潜在的な力を備えた国といえる。
でも、そのことに気付いてないがゆえに、そこにある力を活かしきれていない。非大卒層と日常的な交流のない大卒エリートの一部は、社会の半分について、あてにできない人たちだと思い込んでいる。こういう意識は変えていく必要があるでしょう」
高度成長期の日本社会は、中学卒業後に集団就職で大都市に流入した若者を「金の卵」ともてはやして重宝した。が、その後、高校進学率が高まると、「金の卵」たちは、高卒学歴を持つ世代に雇用の機会を奪われる。
そして、いま「金の卵」は、少なからぬ数が生活保護の対象になっている。大学進学率が50%を越えた今、政治や産業経済の諸課題を、大卒者の常識をモノサシとして考えていくことが増えている。そんな今の日本を社会学のエビデンスに基づいてから眺めるとき、「金の卵」がたどった先例が繰り返されるのでは、と吉川氏は危惧する。
今の非大卒層は、日本社会を支える「金の卵」であるはずだ。しかしもてはやされていないどころか、存在が意識されることすらない。それゆえに有効な政策が講じられることもなく、市場としても期待されず、あらゆる困難を自己責任で解決せざるを得ないという深刻な状況なのだから
気概のあるスタートアップには、こうした社会課題をテクノロジーの力で解決できるように、取り組んでいいただきたいものだ。
吉川 徹
1966年島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は計量社会学、特に計量社会意識論、学歴社会論。SSPプロジェクト(総格差社会日本を読み解く調査科学)代表。著書に『日本の分断 ~切り離される非大卒若者(レッグス)たち~』(光文社新書、2018)など多数
取材・文/編集部 撮影/干川 修