IT立国・電子国家として注目を集めるバルト三国のひとつ、エストニア。
2014年から「e-Residency(イーレジデンシー:電子居住)」と呼ばれる制度を導入し、外国人であってもエストニアでの法人の設立・銀行口座の開設などが可能となった。少子高齢化、人口減といった課題を解決する一つの手段として誕生した同制度からは、日本が学ぶべき点も多い。
2018年5月からエストニアでの生活を始め、現地で法人設立を果たした齋藤アレックス剛太さんは、「日本人が持つエストニアに対する過度な幻想」に少し違和感を覚える部分があると言う。
エストニアの現状など、現地に住んでいるからこそわかるリアルな部分についてお話を伺った。
エストニアの起業意識が高い理由
バックパッカーとして世界を旅していた齋藤さんは、外資系コンサルティングファームでの勤務を経て、2018年5月からエストニアに移住。オンライン本人確認サービスを提供するスタートアップ企業Veriff(ヴェリフ)で事業開発に携わり、その後オンラインでの法人登記や事業運営をサポートするサービス「SetGo」を立ち上げる。
現地で新しいサービスを立ち上げたのは、「周囲の環境からの影響が大きい」と語る齋藤さん。彼は、エストニアから何を感じ取ったのだろうか。
――日本と比べると、エストニアは「起業意識」が高いのでしょうか?
高いと思います。エストニアはすごく小さなコミュニティで、首都タリンでいうと40万人ほどしかいません。そのような環境下で、2000年代初頭にエストニアから、あのSkypeが誕生しました。
このような小さいコミュニティの中で、親戚のお兄ちゃんみたいな人が世界に刺さるサービスを作ったとなると「僕もできるんじゃないか」「僕もやりたいな」となるのはある意味、自然な流れだと思います。
このような成功体験こそが、エストニアの起業意識を高めている一つの要因ですね。今でも「スカイプマフィア」と言われる元スカイプの人たちが、次々とスタートアップを立ち上げたり、出資したりしています。
日本だと大企業に入ることが正解という考え方があります。エストニアの場合は「大学、大学院を出てスタートアップ」というのが、一番クールなんです。もちろん、そもそも大企業が少ないというのもありますが。
エストニアはチャレンジしたい人や意欲のある人に対して、とてもウェルカムな国だと思います。
僕が初めてエストニアに訪れた時、いろいろな人を紹介してもらいました。気付いたら、スタートアップの人に囲まれていて「僕も何かやりたいな」というマインドになっていたんです。エストニアには、挑戦を促すような環境があると思います
――働き方の部分でも違いはありますか?
日本の言い方をすれば、エストニア人の働き方は「ホワイト」です。
彼らは「仕事は生活の中の一部分」というスタイルなので、だいたいみんな9〜10時に出社して、17時には帰って行きます。
仕事の後はそのまま家に帰る人もいますし、週1〜2回開催されているスタートアップのイベントに行って、外部とのつながりを作る時間に充てる人もいます。つまり「自分で時間のコントロールができる国」と言い換えることができるでしょう。
僕が務めていたVeriffでも、ある日CEOが「もっと働こうぜ!」「9時17時の働き方なんてクソ食らえだ!」と言ったことがあったのですが、結局みんな18時くらいに帰っていきました(笑)
エストニアの現実―注目されている部分とのギャップは?
――周辺諸国と比べると、エストニアにはどのような特徴があるのでしょうか?
エストニアは、カルチャー的にも言語的にも、フィンランドなどの北欧寄りです。日本では「バルト三国」のひとつという認識ですが、彼らは自分たちのことを「ノルディックだ」と言います。北欧の1カ国、という自負を持っているんですね。
いわゆる「バルト三国」でもラトビアはもう少しロシア寄り。言語とかもロシア語に近いものがあります。リトアニアは、もっとキリスト教色が強い印象です。同じバルト三国でも、その特徴はまったく異なりますね。
――日本人がエストニアに抱いているイメージと実際は異なる部分、ギャップのある部分はどのようなところでしょうか?
エストニアは電子国家やIT立国と言われていますが、実はGDPの中でITが占める割合は7%と、そこまで高くないんです。
ITの領域は「少ない人数で大きな売上を上げる」という特徴があるので、人数比でいうと4%ともっと更に少ない数字になる(※1)。エストニアの実態として、「非IT領域で働く人の方が圧倒的に多い」という点は、一つ押さえておくべきポイントです。
あと、エストニアはAI国家とかブロックチェーン国家とも言われますが、エストニアが使っているテクノロジーは、決して最先端のテクノロジーではありません。
彼らは「今あるテクノロジーを最大限に活用して、人々の生活に役立てよう」という部分に長けている。最先端のAIとかブロックチェーンを期待してエストニアを訪れる人は、ちょっと拍子抜けして帰って行きますね。
エストニアは、世界で初めて国政選挙での電子投票を導入した国でもありますが、電子投票の割合は徐々に増えているとはいえ全体の40%ほど(※2)。
つまり、半数以上の人たちが、まだアナログで投票をしています。また、買い物でも現金で支払う人はまだ多いです。IT立国と言われているエストニアですが、デジタルとアナログがうまく共存している、というリアルがあるんです。
逆に、「電子国家の実現に最先端のテクノロジーはいらない」とも言えると思います。課題が明確であれば、必ずしも最先端のテクノロジーである必要はない。日本に今ある技術でも、もっとできることはたくさんある。これも、エストニアに行って学んだことの一つですね。
小さいリンゴを日本刀で切る必要はなくて、果物ナイフで切ればいい。最初に課題があって、それを解決するために最も効率的な方法を考える。そういったシンプルな思考から日本が学ぶべきことは多いかもしれません。
※1 https://e-estonia.com/it-sector/
※2 https://www.valimised.ee/en/archive/statistics-about-internet-voting-estonia
――なるほど。その例えはとてもわかりやすいですね。外国人や移民に対する意識はどうですか?
首都タリンでは外国人に対してウェルカムな雰囲気がありますが、地方はまた違った雰囲気があるようです。
ただ、エストニアは「自国の経済を発展させたSkypeのような企業を作ってくれる人は受け入れたい」というスタンスを取っています。提携することによってより良い国・より良い企業を生み出していくというが、彼らの考え方です。
例えば、エストニアのe-Residencyプログラムを活用すれば、外国人であっても自国からオンラインでビジネスを行うことができます。ここでもエストニア政府は、彼らが給料を支払ったり、法人税を払ったりする時に税収が上がるという、win-winの関係になっています。
2019年5月にはe-Residency関連の税収が初めて100万ユーロ(約1.2億円)を突破しました。外国の資本・労働者・企業をうまく活用している良い例です。
注:e-Residencyプログラムは、オンラインでの法人登記や電子署名を可能にするプログラムであり、エストニアへの移住権や永住権を提供するプログラムではないことに注意したい。
さらに面白いのは、政府機関であるにも関わらず、e-Residencyチームそのものが外国人メンバーを採用して運営しているということです。
政府機関で働いている日本人の方もいますし、政府そのものが多様性を受け入れてサービスを発展させています。そこがすごく面白いなと思いますね。価値を提供できると判断されたら、どんどん仲間にして大きくしていく。それがエストニアです。
日本がエストニアから学ぶべき点は?
――高齢者を含め、国民全体でデジタル化を歓迎しているのでしょうか?
実は、まだまだエストニアも移行段階で、高齢になればなるほどアナログを好む方も傾向はあります。それでも、デジタルを活用している高齢者は少なくありません。
例えば、マイナス10度の極寒の中、1時間かけて投票所に行くのであれば、温かい自宅で孫に教わりながらオンラインで投票した方が良いと思いませんか?
何よりエストニア人は、「そもそもなんで電子国家って必要なんだっけ」「僕らが幸せな生活のあり方ってなんだろう」「そのために必要なツールって?」と、ずっと話し合ってきました。
そもそもどういうペインポイント、悩みの種があるのかを明確にしていき、それを解決するために最適なツールは何かを議論していく。
そうしていく中で、課題に対するソリューションが出てきたときに、人はアレルギーを感じにくくなるんです。
これを解決できるなら使うなって、課題を明確だからこそ、その解決策も浸透していく。今の日本に足りないところは、そういった議論かもしれません。
――課題に合ったソリューションを提示する。とても納得できます。本日は貴重なお話をありがとうございました。
齋藤アレックス剛太さん
バックパッカーとして世界を旅したのち、外資系コンサルティングファームでの勤務を始める。2018年5月からエストニアに移住し、オンライン本人確認サービスを提供するスタートアップ企業Veriff(ヴェリフ)で事業開発に従事。その後、オンラインでの法人登記や銀行口座の開設サポートを行うサービス「SetGo」を立ち上げる。
取材・文/久我裕紀 撮影/末安善之