液晶ディスプレイを支持体に、ペインティングやインスタレーション作品を制作するアーティスト・Houxo Que(ホウコォ・キュウ)。彼の作品で特筆すべき点は、光の重要性だ。
その背景は、現代社会の中で我々が普段目にする光の多くがスマートフォンやパソコンといったディスプレイから発せられていることに起因している。
インターネットを通してこちら側と向こう側の世界をリアルタイムに繋いでいるディスプレイというデバイスは現代社会を象徴しているとも言えるだろう。
今回は、〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が彼の作品の魅力と、アート界の行く末について話を伺った。
─まずは自己紹介をお願いします。
もともとはアーティスト志望ではなく、漫画家やデザイナーになりたいと思っていたんですが、向いてなかったんですよね。それで、得意な分野を伸ばしていったら自然とこの作風になってしまった(笑)
─具体的にどのような作品を作っているのですか。
主に現代美術の領域で活動していて、基本的にペインティングの作品が多いです。
ただ皆さんが想像するようなキャンバスの上に描かれたものでなくて、液晶ディスプレイを支持体とした絵画作品です。液晶ディスプレイやプログラミング、もしくは照明機器など、わりと身近にあるニューメディアの機器を使っています。
─アーティストになったきっかけは?
予備校に行っていた頃、ファインアートも勉強していたんですけど、自分にフィットする表現がまだ見つけられていませんでした。
確かその頃地元の駅の壁に、でかでかとあるグラフィティが描かれていたんです。それを見てこんな表現があるのか、こんなことができるのか、とショックを受けました。しかも、まさにそれを描いたのが先輩だったんです。
16歳から22歳ぐらいまで、その人のあとを追うようにようにしてずっと外でグラフティを描くようになり、それからクラブに出入りしているうちに、徐々にライブペイントもするようになっていきました。
そういう流れの中でコミッションの仕事も受けるようになり、ストリートの分野で活動するようになっていきました。
─今ではディスプレイを支持体に絵を描いてらっしゃいますが、どのようなモチベーションから変化したのでしょうか。
普段から僕は、インターネットで動画を見たりSNSを使ったり、子供の頃から見ていたテレビなどの色彩と、自分が描いている絵の具の発色との乖離を感じていました。
その感覚が変わったのが、2011年3月11日の東日本大震災。
テレビで沿岸部を襲う津波のライブ映像や動画を見たりする中で、自分は心理的に傷ついているのに、でも当事者ではない。何かちょっと異なったバイアスを持ったリアリティを得ているようだったんです。
ディスプレイに向かったときに、なにかしら強いバイアスを得ていると感じているからこそ生じる現象なのかもしれない、と。
だとしたらやはり、この時代に生きる表現者として、そのことについてちゃんと考えなければならない。そういうところから、ディスプレイについての研究を始め、直接ペイントするという手法に至りました。
─そもそも、なぜディスプレイを支持体にしているんでしょうか。
現代の平面における情報表示を考えてみると、テレビやパソコンなど、過去50年の中で人類はかなり新しい体験をしていると思います。
私たちは今まで情報を受け取るときに、新聞や書物などといった印刷物から情報を得てきましたが、今はテレビやインターネットですよね。そういう情報環境の変化もあって、今はディスプレイに表示されたものを見るほうがはるかに多くなっている時代だと思います。
つまり、これは地球全体を覆いつつある、情報表示の革命なんじゃないかと。そういった時代の中で、絵画表現というのは新しくどうあるべきなのかと考えていった結果、液晶ディスプレイについて表現することをやらなければならないことなのではないかと思ったんです。
─どのような方法で “描く”のですか?
「絵を描く」と言うと風景や人物などの図像をキャンバスに描く行為とイメージされると思うんですけど、表示するという機能だけで考えれば、もはや液晶ディスプレイのほうが優れているんですよね。
例えば、私が布地のキャンバスに誰かの肖像を描いた瞬間、その絵はもう固定されてしまって、非常にスタティックなものになっている。
変更できるのは、せいぜい描き加えることぐらいですよね。でも液晶ディスプレイは、誰の肖像でも見れる。例えばインターネットに接続すれば、Google検索で誰の顔でも見れてしまうんです。
そんな時代の中で、何か形を描いたりすることに価値があるのか非常に怪しいと僕は考えています。
─作品を拝見すると、絵の具自体が発光しているように見えます。
以前から作っていたシリーズが、蛍光塗料のペインティングです。
蛍光塗料は紫外線に反応して、メディウムそのものが発光します。最近制作しているのは、透明のアクリルでペインティングしたもの。
量があるので乾くときに少し丸みを帯びて乾いていくんですね。そうするとレンズ効果が発生して下の液晶が少し引き延ばされて広がったり歪んだりしていきます。
絵画と液晶ディスプレイという二つの要素を考えていったとき、中心となる後者の表情そのものを絵画的メディウムの中に持ち込めないかと考えていった結果かと、自分では思います。
─制作を続けていくことで、ディスプレイを使った新しい表現も模索されているんでしょうか。
僕のやっていることは基本的には過去に向いています。私たちが今生きているこの時代に起きている新しい変化そのものを、歴史の中で考えたいんですね。
だからどちらかと言えば、僕は未来のために新しいものを作るのではなくて、未来のために今あるものを、過去のものとしてちゃんと記録していきたいと思っています。
現代のメディアであるディスプレイを、試行錯誤しながら制度として残していきたいと考えています。
(後編へ続く)