ブロックチェーンが凄いと言われる背景

2019.06.27 [木]

ブロックチェーンが凄いと言われる背景

ブロックチェーンについて凄いという人はまだまだ一部の人です。

優秀なITエンジニアでマイクロソフトからMVPを受賞した人にブロックチェーンについて意見を求めたところ「私は多くある新技術の一つとしか見なしていません。」と言われたことがありました。

技術的に優秀なことと、ブロックチェーンが社会に大きなインパクトを与える可能性があると理解することはイコールではないのです。

そのためこのブロックチェーンの可能性を理解してもらいやすいように歴史を遡って説明を試みます。

IT業界に長年関わっている私から見ると、壮大なやり残したことをこのブロックチェーンが成し遂げようとしてくれているように見えるのです。

 

PC革命とは何だったのか?

PCが誕生する前のコンピューターは、高額で、大型で、信頼性も現在よりかなり低いものでした。

理論上は既に1940年代に以下の3人の天才達によって現在コンピューターで出来ることは説明されていました!

ジョン・フォン・ノイマン(プログラム内蔵コンピューター、現在まで続くコンピュータの原型を考案)

アラン・チューリング(人口知能の父、その道を開いた)

クロード・シャノン(全ての情報は2進数で表現できることを数学的に証明、情報理論考案者)

彼らは、コンピューターの性能が進歩すれば現代のようなことができることをコンピューターのまだない時代に夢見てかつ証明していたのです。
(彼らほどの知性が現代にいたら、今から50年後の世界を予見して構築の道筋をつくれたのかもしれません!)

同時期にトランジスタが発明されます。

ところが、そのトランジスタですら、単体で使う限り、彼らの思い描いた世界を作りだすためには、サイズ的にも大きすぎて役不足でした。

例えば多数のトランジスタを組み合わせることで、動画や人工知能の処理を行えるコンピューターを作ることが可能ですが、とても現在のPCのようなレベルまできちんと作り出すことは無理でした。仮に万一できたとしても、非常に高価かつ信頼性の低いものだったでしょう。

IC(LSI)の誕生

ICとは集積回路のことで、LSIとはその大規模(あるいは集積度の高い)なもののことですが、現代では混同されLSIという表現が良く使われています。

写真印刷と同様の原理で、トランジスタを含んだ電子回路図をシリコンウェハー上に作ることができるようになりました。

フォトマスクという印刷用のフィルムのようなものを15枚程度、何度も照射するのですが、手作業とは比較にならない手間で遥かに小型に、劇的に手数を短縮し、印刷感覚で複雑な回路が作れるようになったのです。

これについてはテキサス・インスツルメンツ(半導体会社)のジャック・キルビーの特許とインテル社を創設する当時フェアチャイルド社(半導体会社)のロバート・ノイスの特許がそれぞれ1959年に出願されています。

質、量、コストが桁違いに進歩することでPC誕生の準備が整ったのです。

MPU(CPU)の誕生

コンピューターの中央処理機能はCPU(Central Processing Unit)と呼ばれているが、これをLSI上にワンチップで実現したのがMPU(Micro Processing Unit)現代ではもうMPUしかないので、これを一般的にCPUと呼ぶようになっています。

その誕生は1970年代半ば、あまりに単純だったのでCPUの元祖と言えるのが

インテル4004(1971)

電卓のチップを専用設計から汎用コンピューターをチップ状に実現してコスト削減したいという目的から生まれた

インテル8080(1974)

初期のPCの多くに採用されたのでこのあたりが最初のMPU(CPU)と呼ばれることが多い。

同時期に

モトローラ6800(1974)

この後継CPUの

モトローラ68000(Macで長年使われていた)

モステクノロジー6502

これが初の世界大ヒットPCとなったAPPLEII(1977)で採用された

PCを作るための中心部品ができた。これを活用した多種多様なPCが数えきれないほどのメーカーから発売された。

日本ではほぼすべての家電メーカーとNEC、富士通からPCが発売された。

現在PCは実質AppleのMACとWindows PCの2系統のみとなっている。

2019年現在に販売されているCPUの例として以下を上げて解説する

Intel Core i5 8600 BOX

コア数/スレッド数:6/6
定格クロック:3.10 GHz
最大クロック:4.30 GHz

コア数、スレッド数とはワンチップの中にあるコンピューターと同時に走らせられるソフトの単位の数である。

クロック周波数3.10GHzとは、一秒間に31億回もの計算命令を処理できることを意味する。

やっていることは初期のコンピューターで規定されたことと基本的に変わらない。

ただ、インターネットが広がる前まで遡ると、PCは能力を持て余し始めているところがありました。

主な使い道が、ワープロと表計算であり、コンピューターのパワーを個人に開放してくれるものであったハズが、意外に大した用途もないのかと思いかけたのが、インターネットが広がる前の雰囲気であったと、筆者は記憶している。

インターネットが広まる直前1993年頃には、PC革命初期ほどの熱気が薄れ、PCはIBM-PCとその互換機(今のWINDOWS PC)に全て集約されていき、

AppleのMacはGUIの実用化という大任を果たしながら、まだ命脈を保っている状態で、復活があるとは誰にも思えなかった。

ただ、世界にPCが蔓延することで、P2P(一対一でのコンピューター通信を行うこと)の1つは整ってきた。

コンピューターを個人使用で役立てようという目的がPCという名称には含まれていたが、少なくとも当初の夢に対してはごく限られた範囲でしか実現されないままでいた。

それがブロックチェーン以前、インターネット以前のPCの姿でした。

現在では、CPUのトランジスタ数は軽く10億を超えてきています。人間の脳細胞数は140億個なので、その数を超えることが視野に入ってきました。

これを超えることをシンギュラリティー(人口知能が人間を超える時点)の根拠としているのが、ソフトバンクの孫さんです。

脳もデジタル信号を処理しているのですから、この主張は説得力があるように思われます。

その活用方法も日進月歩で、ブロックチェーンはそれに質的な変化を与える可能性が高いと私は予想しています。

何故なら、新種の権限を持ったデータベースのような役目を担い得る特質を持っているからです。

 

 ブロックチェーンとインターネット革命の歴史的背景

ブロックチェーンはインターネット革命以来の大革命だ!

という説明を何回も見かけますが、これは正確な表現ではありません。(わかりやすいからこれも良い表現ですが)

インターネットは、ネットワーク同士をさらに接続するためにIP(Internet Protocol)で世界中と繋がった巨大なネットワークを指しています。

それではインターネット革命とは何を指していたのでしょうか?

実際に現象としてみると、1994年からの爆発的に広まり、当時のデファクトスタンダートとなったウェブブラウザ

1.ネットスケープ・ナビゲーター

実際はこれ以前にもブラウザーがあったのですが、総合的に使いやすく世界中に急速に広まったのがこのブラウザーでした。

ウェブブラウザーで見るために

2.WWW(World Wide Web)

で情報を提供するサーバーの爆発的拡がり。

3.ブロードバンド接続(常時高速回線接続)の普及

当初はADSLという既存の伝導体のネットワーク回線を利用して常時高速回線を実現するものが主流でした。

 

なぜインターネットに多くの人が熱狂したのか?

それまで、情報を得る手段は主にマスコミか口コミでした。

マスコミは、テレビ、本(雑誌含む)、新聞、ですから、今でこそ多くの人がネットでの情報と比較することでどれだけねつ造された情報があるかを知ることができますが、当時はそれしかなく、現代のように個人がユーチューバーとして多くの人に情報を提供することは想像すらできませんでした。

それが、急に写真や文章を多くの人が提供することができ、自由に見ることができるようになったおかげで、感度の高い人達はこれに熱狂しました。

筆者は1995年までマイクロソフト社に勤めていましたが、社内のマシンは全てインターネットに繋がりながら、誰一人としてブラウザーを使っていませんでした。ビルゲイツもインターネットは遊びで仕事ではないと主張していたので、大きく出遅れました。

本社に問い合わせたところ、ブラウザー用の社内ネットワーク向け設定ファイルを送ってくれました。あっさり社内でブラウザが使えて嬉しくて驚いた記憶があります。私のもらったファイルをコピーして急にブラウザー利用者が増えていきました。当時のマイクロソフトの様子はそんな感じでした。

ここで、私も含めて多くの人は世の中がより自由で楽しく、個人が活躍できる楽しいものに変わると、無邪気に期待を膨らませていました。

マスコミと同じように世界に情報を個人が発信出来て、その情報を個人が取捨選択してみることができる!!!なんと素晴らしいことではないかと。

その熱狂は株式市場も動かし、2000年4月まで、インターネットに関わる銘柄というだけで、株価は天井知らずであるかのように上がり続け、

株価指標であるPERが200(通常は15倍程度)というような銘柄が珍しいだけでなく、赤字のまま上場して高値を付ける銘柄も少なくありませんでした。

その最初があのブラウザーのデファクトスタンダードを作ったネットスケープ社だったのです、赤字のまま上場して、上場前からいた正社員は最低でも数千万円以上の上場益を得るという離れ業を演じました。私は上場直後に入社したのでチャンスを逃しました。

 

インターネット革命とGAFA

アマゾンの初期の記憶

アマゾンはおしゃれでセンスのいいレビューがたくさん出ていました。

1997年にアマゾンの乳幼児向け絵本のベスト10をアメリカから取り寄せて、当時乳幼児だった娘に見せたところ、大喜びしてました。絵本は万国共通で、それを提供できているアマゾンは素晴らしいと思いました。

当時は赤字のままビジネスの拡張ばかりを追い求めていたので、こんなに成功するとはとても思えませんでした。

赤字を長期間続けて成功する企業を私はそれまで一社も知らなかったからです。

ただ当時から圧倒的なECサイトを目指す気概があるらしいこと、

また結果的にその過程で余ったコンピューターパワーをクラウドとして提供することで多くの利益をたたき出すという成長を成し遂げました。

グーグルの初期の記憶

ネットスケープ時代の元同僚がグーグルを訪問した話をしてくれて、そのあまりに変わった社名が記憶に残りました。

ヤフーが検索をグーグルに外注したことはその後のヤフーの没落とグーグルの成長の大きなきっかけとなりました。

GAFAの4社とも会社のビジョンが長期的に明確でした。

それを愚直に追い求め続けられたことが成功の大きな要因でした。当初のインターネット革命の熱気とはかなり違うものがこの4社の寡占市場には出来上がってきました。

 

インターネット革命は価値の交換機能を置き去りにした

どうしてあの熱狂は、この寡占市場になったのでしょう?

私が思いつくことはWWW(World Wide Web)の目的がCERN(欧州原子核研究機構)という研究機関の科学論文を効率的に見るために考案されたものだということにその根っこがあるのではないかということです。

1994年からのウェブによるインターネット革命は情報革命をもたらしたが、インターネットを通じた情報提供と連動するビジネス活動、それによる売り上げと利益は、巨大な企業が持っている信用と一体になることでしか得ることができないものであった。

仮に小さな会社が独自の方法で成功を築きつつあった場合、そのほとんどはGAFAの買収対象か、競合対象にされてしまい、情報を流通させるだけでは大企業が圧倒的に有利であることを思い知らされてきたからという部分が大きいです。

一部のインフルエンサーやユーチューバーは個人でこの障壁を突破したようにも見えます。ただ例えばユーチューバーの場合、グーグル社にアカウントを停止されたら全くそれまでなのです。決して自由に自分の価値観を追求できる立場ではなくそれはグーグル社のガイドラインに沿ったものである必要があります。

現在GAFAの4社は、ほとんどの国以上の権力と経済力を持ち、ネットに依存した人には絶対的な権限を持っているとも言えます。数日間、留置場に入れられるのと、グーグルやフェイスブック、インスタグラム、アップル、アマゾンなどのアカウントを永遠に取り上げられることのどちらを恐れる人が多いか想像してみるとわかります。私はアカウントを取り上げられる方が怖いです。それを民間企業が握り、法律でないものでコントロールできるのです。

インターネット革命と呼ばれるウェブ革命は当初の熱狂とは違う方向に来ています。そして、WWWを作り出したティム・バーナーズ=リーをして個人の情報は個人が管理すべきであることを主張し、そのために動き出しています。

これもブロックチェーンで改善を期待される現代のインターネットの状況なのです。

撮影/倉持涼

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