独特な目をしたキャラクターが注目を浴び、壁面や店頭ディスプレイなど様々な場で作品を発表し続けるアーティストColliu。
モデルとしても活動する彼女は、独自の生き方、作風を貫いている。そんな彼女には、生きていくうえで重視する「ぶれない軸」があるという。
アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が、Colliuの価値に対する考え、変化する社会だからこそ必要な生き方の指針を訊ねる。
ーアーティストになろうと思ったのはいつからですか?
実は、アーティストになろうと思ったことはこれまでないんです。
それよりも、持っている能力がどうやったらお金に変わるかという現実的な視点で考え、自分にはどのような適性があるのか見極めるのが重要だと思っていました。
結果的にアーティストとモデルを兼業するようになったのは、そうした観点から物事を選び取っていったからで、計画をしてなったわけではありません。
自分の創作物に観る人からのリアクションがあり、そのことに対してストレスなくできているので、アーティストを続けています。
ーいつからそうした考えを持つようになったのでしょうか?
小さい頃から習い事とか、強制的に何かをやらされることが多かったのですが、嫌々やっていることがほとんどでした。
その経験から、自発的にやったことは自分の中に蓄積されるけど、強制されると何も残らないんだな、と考えるようになって。
この考え方が常に根底にあったので、大学卒業後の職業を考えるときに、エントリーシートの内容を無理やりひねり出して書くのが苦痛だったんです。
美大に行ったバックグラウンドもあると思うのですが、「自発的にしたいことって何だろう」という思考が “起き上がっていく”感覚で、今の選択肢を選びました。
ー美大への進路も含め、珍しい選択をしたことになりますね。
そうですね。そもそも美大に進んだのは、消極的な選択肢だったんです。
家の方針で、進学はしなくちゃいけなかったのですが、勉強は嫌いでした。でも、絵を描くことは好きだったので、「美大に行きたい」って両親に伝えたんです。
最初はすごく反対されました。ただ、実は父親も昔から絵を描くのが好きで、美大に行きたかったけど両親に反対されて行けなかったみたいなんですね。
それで最初はダメと言っていた父親が、自分の意思を自発的に継いでくれたと思ったみたいで「いいよ」と言ってくれました。
ーColliuさんの価値観の根底にあるものは何なのでしょうか?
例えば学生のときなんかにはよく「あそこの制服はかわいい」みたいな話するじゃないですか。
でも、自分はみんなが同じ服装をしているのに、何がかわいいんだろうとずっと違和感を持っていました。そういう自分の価値観に影響を与えているのは、小学生のときに3年間ほど香港に住んでいた経験が大きいんだと思います。
慣れ親しんだ日本の環境から離れるのはすごく嫌だったんですけど、自分の価値観が強制的に取り壊されるような作業があったのは、物事の考え方に影響をもたらしてると思います。
ー価値観が強制的に取り壊されるというのは?
文化の違いが大きくて、日本にいた頃は疑いを持たずに受け入れていたことが、当たり前のことじゃないんだと気付く経験をたくさんしました。
日本の小学校の規則を世界の規則みたいに思ってたんですけど、全然そうじゃないんだと体感できた。
その当時は「自分の信じていたことが通じないショック」が大きくて、ポジティブには受け止められなかったんですけどね。でもよくよく考えてみると、自分の価値観に影響を与えている経験が結構ありました。
ーColliuさんみたいな生き方を望む人はこれから増えると思っていて、そうした人たちにとってはいいロールモデルになりそうです。
どうでしょうか。自分の生き方が、誰かのロールモデルになるとは思ったことはないのでわかりません。
ただ、どの時代に生きていても、テクノロジーやシステムによって、勝手に生き方やスタイルを変わらせられることは起きると思います。例えば、今なら好きじゃなくてもインターネットを使わないといけない、とかですね。
そういうときに、時代の変化ばかりに敏感になるより、「感覚的に何が好きか」という感情的な部分で「ぶらさない軸」が大事になってくるはずです。その軸があれば、どんな変化があってもやっていけるのかな、と思います。
ー作品について話題を移していきたいと思います。今の作風はいつから確立されたのですか?
あの目のキャラクターがあればアウトプットの対象は問わないというのが、私の創作に対するスタンスです。
先ほど言った、感覚的に好きだという軸があれば周りの変化に対応していけるという考えをそのまま作品、創作に落とし込んだのです。
軸を決められれば、あとは立体にも平面にもでき。独自の記号があれば、派生する作品はいくらでも創作できるのではという発想から今のスタンスができていきました。
ーそうした発想はいつ頃思い浮かびましたか?
高校生の頃だと思います。
当時、感覚的にグラフィティーがかっこいいなと思っていて、街のあちこちにスプレーでマークを描く「タギング」に影響されていました。イリーガルな行為がかっこいいという訳ではなくて、マークがあって、それをどこにも展開していけるっていう感覚がかっこよかった。
ーあの独特な目の”記号”はどのように生まれたのでしょうか。
大学生の時に、前述のグラフィティーの影響から意図的にトレードマークのようなものを作ろうとして目が特徴的なキャラクターを作り出しました。
最初は、黒目の中にイナズマのハイライトの目を書いていたんですけど、だんだん簡略化されて、線だけになっています。
何度も書くうちに手癖で変化していきました。
(後編へ続く)