フェミニズムや政治問題などの社会性のあるテーマを発信するインディペンデントマガジン『HIGH(er) magazine』。
同誌の主宰であり、編集長を努めているharu.は、この誌面や自らの活動を通して何を伝えようとしているのか。
アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が、彼女の幼少期から、今の問題意識までを訊ねた。
ー『HIGH(er) magazine』は、どんな雑誌ですか?
一号から変わらずにもっているモットーは「自分たちに正直でいること」です。
毎号ビジュアルページもあれば、インタビューなどの文章もあって、内容をひとくくりにはできませんが、日常の中で疑問に思ったことや、私やまわりのみんなが言いたいことを取り上げています。
自分たちのパーソナリティを押し出しているので、私たちの世代の“リアリティ”が反映できていると思うし、そこが面白いポイントなのかなと思います。
ーharu.さんはもともと、感受性が豊かなほうでしたか?
そうですね。だからか、生きてるこの世界が辛いと小さいときから感じていました。
例えば保育園のとき、みんなと同じ行動を取らなきゃいけないことが特に辛かったです。お昼寝と、水泳、ご飯の時間…何もかも(笑)。
「何で眠たくないのに寝かしつけられるんですか」って、毎日聞くめんどくさい子でした。
友達がいなくて、先生と泥だんごを作っていたのをよく覚えています。
ーどんな子どもでしたか?
私、問題になる行為をやっちゃうタイプなんです(笑)。
例えば友達の誕生日会で、ここでブーメラン投げたら結構問題になるなと思ったら、本当に投げちゃう。
それで、友達に当たっちゃって、すごく怒られる。
そうなるのはわかってるんですけど、やってしまうクセが小さい頃からありました。クセがあることもわかってたからこそ、生きるのが辛かったのかも。
ー今は生きづらくないですか?
今は私を理解してくれる人や、同じような葛藤をしている仲間がいることに気がついたのでかなり心強さはあります。
でもちょっと自分に飽き飽きしてきたところはあるので、今年は自分を拡張する年にしたいですね。オーストラリアとかアフリカに行く予定です。
ー拡張というと?
今はいろんなメディアなどで取り上げてもらっていますけど、それはあくまで「これまでの自分」でしかない。
結局は自分の見たもの聞いたものをきっかけにしか広がることができない。
だから、実際に自分の目でいろんなものを見たいんです。知りたい欲がすごくある。なんでも知りたいし、試したい。
ー「HIGH(er) magazine」(以下、ハイアー)は続けていきますか?
6月にオーストラリアに行って、その後「真夏の夜の夢」というテーマで作ろうかな、なんて考えてます。
ーハイアーが多くの読者に読まれている理由をどんなふうに捉えていますか?
みんな野生的になりたいんだと思います。
仕事で求められたものだけやっていたら、人はたぶんダメになっちゃう。心のどこかでは「本当は何したいんだろう」って思っているはずですから。
「自分もこんなふうにしていいんだ」って感じられるから、多くの人が共感してくれているのではないでしょうか。
今は、東京にいれば何でも知った気になってしまうじゃないですか。それがつまらなく感じることがあります。
もっと楽しいことあるんじゃないの?って思う。
ー東京のどういうところがつまらなくなっているのでしょう?
上野動物園でアルマジロを見たことがありますか?
ーないです(笑)。
あんな変わった生き物が、ちょっと離れたとこにいるのに、多くの人はそれを意識しないじゃないですか(笑)。
そういう楽しいことを忘れちゃダメだと思う。
私は最近木に登ったりするんですけど、これがすごく楽しい。でもそれって、周りに合わせて生きてるだけだと見つけられない楽しさだったりする。
そういうのを自分もどんどん見つけていって、拡張していきたいと思っているんです。
ー今後、どうしていきたいか展望はありますか?
自分だけじゃなくて、多くの “考えが拡張された” 子たちを増やしていきたいですね。
今のおじさん世代はもう無理じゃないかな…(笑)。
話が通じない人が多いんですよね。この前もある面談でお偉いさんたちに「あなたのことがわからない」って言われて。
それって、わかろうとしてないだけじゃん、って思うんです。だから、そういう人たちは置いといて…。
私たちのさらに下の世代。その子たちに、例えばもっと「役割」をなくした状態とか、いろんなモノゴトを外した状態で、考えられるようになってほしい。
ー「あなたはこういう役割だから」と、えてして決めつけられやすいのが日本社会でもあります。
そう。「誰々はこういう人だ」とか「こういう場には、こういう人がいい」とか。
必ずしもそうやって言われていることが正しいわけじゃないということを、私たちの世代で身をもって見せてあげたいです。
「haru.っていうなんかおかしな人がいる。でもやっていけてるじゃん」っていうのを見せてあげたい。
だからか、最近は学校に行きたいんです。中学校とか小学校とかでワークショップをして、それくらいの世代の子達といろんなことを一緒に考えていきたい。
私が出会った子達が、私や私の仲間たちの生き方、考え方に触れて、より自由にいろんな人を受け入れられるようになったら最高じゃないですか?
ー下の世代を重要視するのはなぜでしょうか?
私がハイアーでセックスや性について話すのは、自分が高校生のときに(こういうことを)知りたかったって思っているから。
身をもって傷ついたはずなのに、どこかに語られるわけでもないし、生かされるわけでもない話。
自分が見て、聞いたものでしか表現はできないし、そういう経験をただ自分の中だけで収めておくってもったいないと思うんです。
もちろんセンシティブなテーマではあるので、みんなにそうしてほしいとは全く思わないのですが。
私のストーリーがなにかしらの糧になればいいと思って、ハイアーを通して表現しています。
ーLGBTの話題も注目される時代になってきているので、より重要度は増してきますね。そうした表現を続けていくモチベーションはどこにあるのでしょう?
私もそれが気になっていて、ただ「本能」としか言いようがないんです。
何に突き動かされてるのかわからない。自分が(そういったオピニオンリーダーのような)アイコンになるんだという思いがあるわけでもないし。
今、答えはないけど、これを続けていかないと生きてる意味がないな、とは思っています。
ー自分の存在意義につながってると。
はい。それがないんだったら、くたばっちゃいますね。