出生地のニュータウンを題材にした映像作品『バーリ・トゥード in ニュータウン』や、福島・小名浜を歩く『浦島現代徘徊潭』といった作品を発表してきた現代美術家・中島晴矢。
私たちの生活と切り離すことのできない「街」を題材とした作風の彼は、変わりゆく今の世の中をどんな目線で眺めているのか。
アート系プロジェクトチーム〈ArtHub.jp〉代表の野呂 翔悟氏が、アーティストとお金という観点から、ブロックチェーンについてまで伺う。
ーではここからは、アートとお金の話を。アーティストにもお金が必要ですよね。
やっぱりお金は大変ですよ。僕のアーティスト仲間も他に仕事をしながら作品を作って発表しています。
作品の売り上げだけで食えている人は一握りだし、その一握りだって儲かっているわけではないでしょう。
ーどうすれば売れるか、について考えたりしますか?
考えます、特にギャラリーは作品の売れ行きが生命線なので。ざっくり言うと、ギャラリーには「貸し画廊」と「コマーシャルギャラリー」の2種類があって、貸し画廊は展示する人からレンタル料をもらい、コマーシャルギャラリーは基本的に作品の売り上げからマージンを取って運営しています。
ギャラリーと展示について話すときは、目標の売り上げ額も決めたりします。
売るために作品を作ることはしませんが、本当に自分が今やりたい表現を展示の軸に据えて、それに付随するものとして「ちゃんと売ろう」って思っています。
ー一方で、お金に対する価値観は、今徐々に変わってきてもいます。アーティストの活動スタイルにもバリエーションが増えているのでは?
色んなケースがありますよね。例えばひとつには企業やNPOが主体となった助成金があって、優秀なプランを出したり、実績のあるアーティストがサポートされていたり、レジデンスに滞在したりして作品を作る人もいる。
あるいは現代アートの最先端のオークションとか、ビッグギャラリーのような場所で高額な値段で作品をガンガン売る、資本主義にライドしていくタイプもいます。
これはジェフ・クーンズやダミアン・ハースト、村上隆さんに代表されるパターンです。資本主義自体をアイロニカルに利用しながら、むしろそれを加速させる形でお金を生み出していく。
その中で自分の思想を実現するタイプの作家です。
僕らの世代の実感でいうと、クラウドファンディングを活用している人は多いですよね。
プロジェクトの度にファンディングを募っているアーティストも目立ちますし、僕も一度クラウドファンディングを利用して、ヒップホップのアルバムを作りました。
若手にとってとても現実的な手段になってきていると思います。
ー資本主義の中で上手く折り合いをつけながら新しい取り組みを活用する人も多いと。
はい。東東京なんかに多いんですが、使われていない工場を改装して住んだり、滞在して作品を作って展示するアーティストもいますし、例えばChim↑Pomなんかは高円寺に「Garter gallery」というスタジオ兼展示スペースを作っています。
旧来の美術におけるコマーシャルギャラリーに則った流れではなく、若手中心でアーティストたちが自分たちで場所を切り盛りし、そこで経済を回している事例が増えてきているんです。
こういう活動に莫大なお金は必要ない。普通に生活して、制作費があればそれがベストだという範囲で、みんないろんな方法でサバイブしてる。
前述の渋ハウスのような「シェアハウス」だって生き延び方のひとつですし。
ーアーティストが商業ベースに乗らない活動のための手段として、今SNSやクラウドファンディングの流れがあり、その先に大きなトピックとして、ブロックチェーンがポイントになるのではと思っています。
作品の価値を自分でつけられるし、それがお金以外のもので交換できるような時代がくれば、もっと多様なライフスタイルが考えられる。
もちろん僕も作品の制作だけで暮らしていくことが理想ではあるんですけど、そんなにブロックチェーンに関しては、どうしても楽観視できなくて。
以前、あったじゃないですか。アプリでクリエーターが登録して、みんなが仮想の投げ銭をしてくれて換金できるやつ…VALUだ!
ー通貨の一種ですね。
そうそう。あ、批判していいですか?(笑)
ーどうぞ(笑)。
多様で自由なことが分散型でできるところからスタートしたものが、お金を集めるためにシステムやコンテンツが最適化・均一化されていくことってよくあるなと思っていて。
例えば今はユーチューバーがその典型。自由なプラットフォームだったのに、より多く見られること、ビュー数が多ければ多いほど金銭に繋がるというシステムによって、結果的に同じようなコンテンツが量産されてしまった。
現にユーチューバーと聞くと「サムネイルに活字で煽るような文句が入っていて、見るとちょっと過激なことをやったりしている」ようなイメージが浮かぶ。この現象は、グローバリズムの負の側面も内包している気がしているんです。
つまり多くの人に見られる・わかる・届くコンテンツが優良だ、としたときに、アートはそれとは原理的に真逆のものかもしれないなという。
「一人でもわかればいい」という世界になったときに、果たしてそこに価値が、金銭がどう担保されるのかという懸念はあります。
ーただ、ブロックチェーンは中央集権的な管理がないので、よりカオスな世界が作れると思っているんです。みんなが、それぞれの管理者がいいと思う改善をしながら運営をしていく。
そうなんですけれど、プラットフォーム・システム自体が権力として機能し得るじゃないですか。中央集権の「中央」がないけれど、そのシステム自体が中央集権的に振る舞うという逆説が。そういうモヤモヤがちょっとあります。
ー一つのルールに縛られない世界観は存在し得るんじゃないかな、という期待はしてしまうんですよね。
もちろんその理念には賛同します。先程お伝えしたように、アーティストたちがそれぞれのスペースを作って有機的に繋がって、お金になったり、数字的な価値になったりすることである面ではいい形になるんだと思っています。
それぞれのスペースがどんどん連結して、まさに多様な面白いことをやっている中で、ちゃんとメシが食えるようになる。
そういう仕組みにブロックチェーンが使われるのであれば、それはいいことだと思います。